予想芸術化私案


 ここでは、私がブログ「馬流天星の予想芸術化私案」等で書いてきた競馬予想の芸術化という目標についてのコラムを転載しておきます。記事毎に上にUPしていきますので、最初からご覧になる場合は一番下までスクロールしてください。ご感想等ありましたら、メールやブログにコメント頂ければ幸いです。


「続・閉じた世界をつなげること」2009年07月02日

 最近、短期集中的に競馬本を読み漁り、少しですが競馬本の書評を書いてきて、ふと、疑問に思ったことがあります。

「人はなぜ競馬本を書くのか」

 その理由について、著者は「読者を喜ばせたい」「初心者に手を差し伸べたい」「一緒に勉強していきましょう」等と考えているように表現しているのですが、何となく本音じゃない気がするんです。

 冷静に考えれば、パリ・ミチュエル方式の競馬の世界で他人にうまい方法を知られるのは自分の優位を下げることにつながるため、馬券成績的に得策ではないはずです。

 競馬本はそれほど売れませんし、本を書く人は何百万と儲けている(あくまでも本人申告ベースですが(笑))のが普通ですから、馬券を買う感覚からすれば印税などはした金でしょう。

 もちろん、名が売れれば自分の予想等の情報を購入してくれる人が増える流れが作れるので、それを見込んで本を書く人もいないとは言えません。また、編集者が根気強く説得して執筆というパターンもあるかもしれませんが、大体のケースで著者は承認欲求を満たすために本を書いているように感じます。(本を出すこと自体に自己実現もあるでしょうね)

・自分が見つけた凄い理論を賞賛してほしい、自分のレベルを認めてほしい(承認欲求)
・自分のレベルで語れる人にメッセージを伝えたい(孤独の解消)
・自分の予想理論に引きずりこみたい(世界観の共有)

 これらは予想士個々人だけで閉じていた世界をつなげる方向の働きかけです。

 うまく承認欲求を制御できない方の書いた競馬本は自慢ばかりのように見えてしまいますね。

 本を出している人は競馬ファンのごく一部ですから、深くまで予想を研究している埋もれた競馬ファンは世の中にどれだけいるでしょうか。

 彼らの中でネットにつながっている人たちはHPやブログという媒体が生まれて、それを使って情報発信を始めるようになりました。

 僕のように。僕ももちろん、世界をつなげる方向で活動をしていますし、認められたいと思っています。

 これをお読みの貴方もそうかもしれません。

 今の時代では、情報発信者の中から、実績が認められたり、競馬雑誌の編集者に発掘されたりして、本を書ける人も増えてきましたね。


 さて、しかし、注目を浴び、自分が見つけた凄い理論が研究されるようになってきて、承認欲求が満たされるようになってくると、パリ・ミチュエルの壁が意識されてくるものです。自分はそう思っていなくても、田中さんのように周囲から助言されたりして悩むことでしょう。自分の予想や理論を隠すようになり、自分の会員だけに情報を提供し、世界を閉ざしてしまうようになります。

 ここでは、自分を信じてついてきてくれる会員のためを考えると、予想を無料公開するほうが悪いと考えられるフェイズでもあるんです。

 ファンがいれば承認欲求は満たされますし、ここまで来れば金銭的にもそこそこの安定収入があるでしょうから、そっちに舵を取るのも個人的に考えれば悪くない結論に思えるでしょう。

 こうしてできたのが、現状です。

 実力のある馬券師さんは有料コンテンツを持っていて、それを持っているがゆえに露出が少なくなっています。僕も若駒分析ナビを手伝うようになってからは、ワックスムーン氏との対談も自然消滅してしまいましたし、多くの人に予想を見てもらう機会を制限されています。

 ただ、この方向性では、より技術の高い予想は一般の方の目に触れなくなり、予想よりも結果が求められ、的中実績が主な宣伝広告になることから、悪徳業者が参入しやすい状態になります。

 競馬業界として考えると、本当にそれで良いのでしょうか。

 優れた予想理論を持ったたくさんの方々が、もっとオープンに情報を発信し、競い合う環境になったほうが良いと思うんですよね。

 木下健さんが著書で、子供が大きくなる頃にはまっとうな仕事に就いていたいと書いていたように、競馬予想家としての成功は社会的には認められる状態とは言えないところに課題があると思います。


 例えば将棋の棋士を考えますと(スポーツマンや画家、ミュージシャンでも構いません)、

 将棋という遊戯に嵌った少年が、奨励会に入って将棋を指しまくり、研究に没頭して、勝率を上げて勝ち進み4段となり晴れてプロ棋士になった。

 多くのプロ棋士は同じような感じでプロになっていると思います。プロ棋士には給料があり、厚生年金もあります。この時点で普通に職業として社会的に認められていますし、先日、名人戦で防衛を果たした羽生氏のように、活躍すれば賞賛を浴びる世界です。

 一方、

 競馬という遊戯に嵌った青年が、予想をしまくり、研究に没頭して、的中率や回収率を上げ、儲けられるようになった。

 というのが競馬のほう。競馬ファンには羨望のまなざしで見られるかもしれませんが、社会的にはただの競馬マニアです^^;

 でも、考えてみると社会的貢献で、この2名にどれだけの差があるのでしょうか。棋士は将棋を指すだけですよ。将棋は確かに日本古来の遊戯であり、文化維持のためにサポートするという理屈もわかりますが、競馬だって文化です。

 上記の例で違いを探すと、奨励会や日本将棋連盟のような組織が競馬予想界にもあれば良いのではないでしょうか。名人位のような称号もあれば、その名誉と競馬予想文化の向上のために予想を公開して競い合うような素地ができるのではないでしょうか。そんなことを考えます。

 折角、競馬予想という非常に複雑であり深遠な世界を極めつつある人たちが、世界を閉じて交流しなくなってしまうのは残念でなりません。

 予想士は個人の世界で閉じてしまわずに、業界全体の承認欲求を満たす方向に進むべきであり、また、そのための環境作りが必要だと、僕は思っています。


「競馬予想における根拠の重視及び評価基準作成に関する提言について」2009年02月14日

競馬予想において最も重要な要素は何かという事を考えた場合、一般的には、的中することと儲かることが求められているのではないだろうか。
競馬予想は馬券を購入する事が前提になっているため、的中して儲かったほうが良いに決まっている。最初から的中せず儲からないと分かっていたら、馬券など誰も買う人はいないだろう。

競馬には、ギャンブルの要素がある。それは間違いないし、どんなレースにも絶対はない。
しかし、ギャンブルだからといって、運頼みだけで馬券を買う人は少ない。
多くの競馬ファンは、意識的にせよ、無意識にせよ、馬券を購入する際には何らかの情報を求めている。
競馬新聞の馬柱、コメント、その日の馬場状態、パドック、オッズ、出目、サイン、独自理論、記憶の引き出しなど、自分がそれを信じ、購入の根拠に出来るものなら何でも良い。
どの情報に重きを置くかは、その人次第であり、結果的に的中した場合は、その判断が正しかったと思い、運だけで当ったとは思わない。
馬券を購入する際の根拠を求める行為、それが予想だと思う。

冒頭に書いたとおり、競馬予想に的中して儲かることを求めるとすると、予想の行き着くところは、当然の事ではあるが、勝つ可能性を高めることであり、負ける可能性を低くすることである。
その過程には多種多様な技術や深遠な世界があるのだが、これまで競馬予想の優劣は的中という結果のみが賞賛され、予想の過程は切り離されてきた。

予想大会を例に考えてみても、一定期間内に一番資金を増やした人が優勝し、どのような予想をしたか、その過程まで問われるケースはなかったのではないだろうか。つまり、高額配当の馬券が当たりさえすれば、仮に、その予想根拠が自分の誕生日と同じ数字を購入したものであったとしても優勝できるものであり、必ずしも予想の技量を競う大会とはなっていないのだ。
「結果として、資金を最大に出来ない予想なのだから、予想の技量が劣っていたのではないか?」という疑問を感じる方も多いと思うが、評価の全てを結果に委ねてしまってきたことが、本当の意味での競馬予想界の発展を妨げてきたのではないだろうか。
スポーツ新聞の広告欄を賑わす予想業者が、予想の根拠を述べることなく、的中実績だけを羅列しているのも、現在の競馬予想界においては、結果を偏重する傾向が強いことを裏付けている。

競馬ファンであれば、競馬に対する世間のイメージの悪さを肌で感じたことは少なからずあると思うが、当たればなんでもいいという風潮が、結果として、競馬のギャンブル的な側面をクローズアップし、競馬ファンの地位さえも貶めてきたのではないかと思うのである。

ギャンブル的な側面をクローズアップしてしまっている点については、予想技術が高いとは思えない競馬記者や競馬ファンを自認する著名人が競馬関係のマスメディアで予想を行うことが多いことも助長しているだろう。

インターネットの世帯普及率が約9割とも言われる現代において、競馬ファンは自分のサイトやブログ等を使って自分の予想を情報発信できるようになり、予想を有料化にすればプロとして活動できる環境が整ってきている。

しかし、今の競馬予想は、儲かる予想であることだけをアピールするものが殆どであり、その根拠面をアピールするものは極めて少ない。有料予想業者の殆どが、元調教師、騎手等の競馬サークル関係者を抱えていることを全面に出しているように、予想の提供を受ける側も、その根拠については深く考えず、尤もらしいインサイダー情報に踊らされ、高額の会員費用を投じているケースが多いのではないだろうか。
この「予想する側が予想技術の有無を問われない」という背景から、高額の的中実績をアピールして入会金を稼ぎ、時期をみて姿をくらましては、新しい業者でやり直す、いわゆる悪徳予想業者が出現しやすい土壌が作られてしまっている。

もちろん、予想業者が全て技術を持っていないと言うつもりはないし、インサイダー的な情報にも有用なものはあるだろう。しかし、読者に認められるほどの予想技術に達した予想家は顧客を囲い込む傾向にあるため、予想技術の存在については世間一般には広がりにくいというジレンマが生まれ、予想家の相互交流が起こりにくく、技術の向上を妨げてしまう。

そろそろ、競馬予想に過程、技術の評価を含めていく時期に来たのではないだろうか。

予想を提供する側、提供を受ける側の認識に一石を投じるためには、予想技術の優劣を客観的に評価する一定の基準が不可欠となる。
予想の評価を行うために評価基準を作れば、現在ある様々な予想手法の中から、例えば、出目やサイン等、客観的合理性の認められにくい予想手法の価値が下がってしまう可能性は高いが、予想は購入の根拠にできるものであることを前提とすれば、予想の優劣を評価するためには、客観的合理性が重要になるのは当然であると考える。
この試みは予想の画一化を目指すものではなく、客観的合理性に基づく予想過程と技術を求めつつ、独自の予想を表現していく道を作ることを目指すものである。

地道な活動ではあるが、後々には競馬が単なるギャンブルではないことを広く伝え、競馬ファンの社会的地位向上にも繋がり、予想家にとっても、例えば、将棋界における棋士のような、周囲から認められる地位を確立することを期待できるのではないだろうか。

予想家は自らの理論が競馬ファンの研究に晒されても、常に予想力を磨くことで彼らに先んじることによって、本当の意味での予想プロとしての尊厳を得ることができ、各予想家がその技術力と表現力(芸術と呼ばれるものにまで高められるのではないか)を競い合う。そのような環境作りを見据えて、競馬予想における根拠の重視及び評価基準作成を提言したい。


「芸術化緒論<対談編5>」2009年02月06日

<スカイポット>
昨日の話にD&Dさんからコメントがありました。
総流しについて、「若い牝馬の行うレースだから、何が起こるかわからない」という理由で、買い方に強弱をつければ根拠点が加算されないか、という内容でしたが、どうでしょうか?

「若い牝馬のレースは何が起こるかわからない」と言えるのであれば全ての牝馬限定若駒戦をそう書いただけで理由をもって指名したことにできてしまうので芸術的ではないと思います。比重を重くした馬が好走すれば、その馬に対するコメントの技術点が上がると考えればそれだけで良いように思いますが。

小数点第一位を導入して採点しないといけなさそうです^^;

(ワックスムーン)
確かに牝馬限定の若駒戦は波乱するイメージはあるよね。根拠点に繋がるかどうかは、そのイメージを読み手にどこまで納得行くように説明できるのかという予想家の力量にかかってくるんじゃないのかな。
「何が起こるか分からない」というのは、結局のところどのレースでも同じなので、牝馬限定の若駒戦だからという説明だけでは、リスク量の違いを説明出来てない気がするね。
現時点のルールでは印を打っていない馬を買うことは認められていないので、総流しをするのであれば、印を打った馬、つまり全馬について、何らかの合理的な理由を書かないとダメだよね。
総流しという買い方は、そもそもが運頼みのラッキーパンチ狙いな訳だから、合理的な説明をするには相当技術を要するんじゃないかな。
結果的に普通では買えないような人気薄が相手に入って、万馬券になったようなケースは、結果点は高いものが期待できるだろうけど、根拠点で高評価を得ることは難しいだろうね。
仮にその大穴馬にも合理的な説明をしているにせよ、他の来なかった馬にも何らかの説明をしている訳で、それを全馬にやると、そこで矛盾が生じるだろうからね。
矛盾のない合理的な理由が求められる予想大会では、総流しという作戦でトータルの点数を稼ぐのは厳しいだろうね。
相手によって傾斜をかけて行くという買い方の技術についても、一定の評価はできるだろうけど、普通に絞って流して当てた人に比べると、相対的に評価は低くなるだろうね。
予想技術(芸術)を競う大会のコンセプトを分かりやすく説明する文章を考えないとダメかもね。

<スカイポット>
そうですね。問題は合理的な説明ができるのかどうか、審査員や読者を納得させられる内容かであって、総流しはもちろん、あらゆる馬券の選択を否定するわけではないということですね。総流しだとコメントが必須となる馬が全馬になるので、構成点を取るのが大変ですし、コメントに矛盾があれば技術点が下がるので「根拠」の点が取りにくくなるわけです。

コンセプトを伝える説明文、ちょっと考えますか。


「芸術化緒論<対談編4>」2009年02月05日

(ワックスムーン)
昨日更新の記事を今朝読んだけど、また新たな議題が出てたね。
総流しをどうするか?って話。
総流しは基本的に芸術予想とは認められないという整理でいいと思う。
軸を選んだ根拠・技術は素晴らしいけど、相手も絞らないと結果的に相手が人気薄でしたというオチorガチガチというオチかで評価が変わるというのは変だからね。
絞れば花とあったけど、やっぱり絞れば花という前提は正しいと思う。
点数を買えば買うほど的中率は上がる訳だよね、統計学的には。競馬の場合、的中率100%にすることも理論上は可能な訳で。
根拠を示しつつ、可能な範囲で点数を絞り込んで行く作業は賞賛されていいよね。
まあ、1頭軸の総流しの場合、馬連なら最大でも17点で、それは絞れているじゃないか!という意見もあるかもしれないけど、やっぱり、それは結果オーライの運頼みという評価になってしまうよね。
実際の馬券を考えた場合、相手波乱を期待して総流し作戦というのはアリだと思うけど、流すにしてもやっぱり相手を絞る作業を放棄した予想は、芸術予想という観点からは、評価するのは難しいよね。
まあ、流す相手にそれぞれ買う根拠があって、選択した軸馬からの流し馬券だとどの相手入っても配当が17倍を超えるということで、相手を全部買うというのであれば、評価していいような気はするけどね。
まあ、愛知杯なんて、そうでもしないと確かに取れないと思うしww

芸術予想の場合、根拠のない購入はしない前提があるので、仮に相手が絞れず総流しをするようなレースだと考えるのであれば、その1頭の単複勝勝負にするのか、それで妙味がないと考えるのであれば、そのレースを見送るかという判断をするべきということになるんだろうね。

もう1つ。ダイワスカーレットのフェブラリーS出走のような未知馬について。
これを合理的に説明するのは難しいだろうね。
芝のみのキャリアでいきなりダートGTに挑戦して結果を出した馬っているのかね?若しくはその逆でもいいけど。
そんなにサンプルはないと思うけど、確率的に著しく低いのであれば、それを理由にダイワを嫌うことになるのかな。タキオンも基本は芝血統だしね。
何せ出てくれば相当人気するだろうから、消しての勝負に妙味ありという事にはなるだろうからね。で、結果として、凡走したケース。
逆に芝スタート、先行馬、調教での走り等からスカーレットから勝負して、見事スカーレットが勝った場合のケース。
どっちの根拠も合理的かと問われると、無理やり引っ張ってきた理由という感じがしてしまうよね。
この場合、どっちが賞賛されるんだろうか。一般的にはスカーレット消しの穴ゲットが評価高いんだろうね。
でも、芸術的という観点からは、どっちも結果論でしか評価出来ないので、イーブンという感じかなぁ。

芸術的な予想を目指すには、周囲を納得させられる合理的な根拠がない場合は勝負しないというのが正しいので、未知の人気馬がいるレースは回避妥当という事になるのかね?

でもサクセスブロッケンみたいにダービーで3番人気になってしまうような馬がいた場合、ダービーを買わないというのも変だしね。
サクセスブロッケンは惨敗に終わった訳だけど、あの馬を消す場合の根拠として合理的なのは、どんな理由になるんだろうね?
結局は過去データを引っ張ってきて、この人気で買うような馬ではないとするぐらいしか思いつかないけどね。

うーん、難しいねw

たまバスさんが乗り気というのは嬉しいね(^^
予想や採点をアップする場所としては既にツールがある競馬パークのサイトが望ましいと思うけど、審査のレスポンスをどれだけ上げていくかというのは難しいよね。
実際、誰かが一手に引受けてやるには難儀な作業だよ。
審査は事後的に参加者で集まって、その場でみんなで討論するとか?
合同審査で、意見出し合いながらやるのが、最初は望ましいような気もする。一般的な審査基準を作り上げるという意味でも。
最終的には審査マニュアルみたいなのが出来たりしてねww


<スカイポット>
コメントありがとうございます。
「実際の馬券を考えた場合、相手波乱を期待して総流し作戦というのはアリだと思うけど、流すにしてもやっぱり相手を絞る作業を放棄した予想は、芸術予想という観点からは、評価するのは難しい」
に賛成です。高配当が当たれば「結果」点がつくので、それ狙いで総流しするのは構わないですけど、どれが入るかわからないから運に頼るという姿勢に芸術性は感じないですからね。

未知馬の評価コメントについては、配点の構造上、プログラムでの要コメント馬は1〜3番人気と印を打った馬としており、未知馬が配点の大部分を占めることはおそらくほとんどないと思われます。例えば、フェブラリーSのダイワスカーレットは3番人気までには推されるので何らかの取捨につながる合理的なコメントが求められますが、買うにせよ消すにせよ、絶対正しいと言えるコメントはできないと思われます。ただ、それはこのレースを予想する人ほぼ全員同じ条件で、ダイワスカーレットの根拠点が若干低くなるというだけですから、不利になるわけではなく、最高点が下がってしまうにしても、そのレースを選んだ予想者の判断に帰してしまって良い気がしています。

とりあえず、ルールをある程度詰めた上で、3月下旬に打ち合わせをしたいとたまバスさんから連絡があったので、審査基準マニュアルにつながる隙間を埋めていきましょう。

(ワックスムーン)
運(ギャンブル的な)要素を可能な限り排除した予想を目指して行こうとしているので、総流しは根拠点が低くなるということで大丈夫そうだね。配当のほうで結果狙いは妨げないということで。

未知馬の根拠についても、そのとおりだね。1〜3番人気が全て未知馬ということは想定できないし、もしあったとしても、そのレースでは結果当っても合計点は低くなるということか。みんな未知馬に対しては合理的な根拠を示すことは難しい訳だから、その条件は同じだしね。
未知馬取捨の根拠コメントが審査側が納得するようなものを示せるかというのもテクニックになってきそうだね。
芝、ダ適性については、たまバスさんの言うところの“走り方”や馬の造り(筋肉の付き方等)とか、予想精度を上げていくために必要となる新たなファクターの発見にも繋がってきそうだし、いろいろな人の見解を聞ける機会としても、その予想大会を通じた審査基準の構築は意義がありそう。

3月下旬まで、いろいろ討論しつつ、ルールの詳細を詰めていけたらいいね。

<スカイポット>
ありがとうございました。引き続き検討しましょう。


「一番の難題」2009年02月04日

予想大会についてはたまバスさんが早速動いてくれそうなんですが、
たまバスさん運営できるのかな?

僕は余裕ないっすよ(苦笑)

とりあえず内輪で開始するとしたら、レースを絞りましょう。
指定レースで行うとか、1ヶ月間だけ試してみるとか。
審査員が少なくとも3人必要なんですが、
最初は予想する側と兼務でやるしかないですよね。

ということは参加者は最低4人。
僕とワックス氏、たまバス氏、ぶぎー氏(できますかね?)+α

あと、それを点数管理して表示したりする人が必要です。
折角このブログで始めたので僕がやったほうが良いんでしょうけど、
できるか疑問(^^;)

でもやらないと進まないんだよなぁ。

頑張ろう!

※と思ったんですが、やっぱり時間ないので無理そうです。

SNSでNさんから頂いたコメントをこちらに抜粋

Nさん
「スカイさんとワックスさんの予想芸術化対談読ませていただきました。
60点までという設定もピンポイントでいいと思います^^

ただ絞って花というのはわかりますが総流しの評価をどうするかが気になりました。
私はよくわからないとき総流しを買います。特に自信のある穴馬の場合は。
愛知杯なんかもそうでしたがセラフィとか無印でした。でもチェレにはそこそこ自信があったのでチェレ軸に何がきてもいいように総流しをしました。
普段、印をつけた馬しか買わない+2連系以上の馬券しか買わない僕が普通に買ったらはずれてました。頭がないんですから(笑)

穴馬券を取るなら総流しも一つの手だと思っていますし、同様の考えの人も結構いると思います。
印をつけてない馬を買うのは芸術性に欠けるのか否か。
毎回毎回総流しなのも疑問ですが、本当にわからない時の総流しの有効性は芸術と捉えられるものだと思っています。

それともう一つ。
未知数の馬について。
丁度今度のフェブラリーSにダスカが出ますよね?あぁいう初ダート(逆も然り)みたいな馬の評価基準って難しいですよね…
昨年はダービーでサクセスブロッケンとかいましたがあの時はたまバスさんが競馬パークブログで分析したのを読んでいらないかなぁと思いました。
ただそこには走り方がこうだから芝は問題ないと思うけどみたいなことが書かれてあったと記憶しています。(間違ってたらごめんなさいf^_^;)

こういう走り方ってなんていうか抽象的なもので普通に馬券買ってる僕らが見ても芝向きかダート向きかなんてわからないものです…
そこをどう説明していくのかっていうのも求められてくるんでしょうか??
来なさそうな気がするから切るではいくらなんでも適当すぎますし^^;
安藤Jが東京ダートが苦手だから(本当かどうかは知りませんよ^^;)とか父タキオンはダート微妙だからとか(これも本当か嘘か知りません笑)それだけでもいいのかっていう…
長くなりましたがこんな感じです…」


僕から。
「ブログをご覧頂き、コメントありがとうございます。

まず、総流しの芸術点についてですが、基本的に低くなると思います。
例えば馬単の総流しって、単勝を買うのと平均すると同じです。
3連複の1頭軸総流しは、複勝を買うのと平均すると多分同じになります。

ですから、総流しをかけるなら、かけるなりの、穴馬券が出る予感を合理的な理由に基づいて説明しなければなりません。
そして、ダート馬や地方馬などの未知馬はもちろん、能力が明らかに弱い馬まで買う理由も必要になってきます。
そこまでちゃんと書いて初めて、「根拠」部分にしっかりとした配点がつきます。

結果的に穴馬券が取れたら「結果」で高い配点がつくので、問題ないと思っています。
「根拠」部分で点数を取るなら単勝や複勝1点のほうが楽でシンプルになります。

未知数の馬についてのほうは難しい問題ですよね。
ダスカのフェブラリーSの取捨の合理的な理由として、ダートで実績を残していないのに過剰人気をしている、つまり妙味がないから、というのは認めて良いと思います。
また、タキオン産駒のダート実績と芝実績を比較して、ダートが悪いからパフォーマンスを落とすと見込んで評価を下げるのも合理的理由になると思います。

「根拠」の技術点は今どうしようか考えているんですが、結果を見る前なら評価できるもの(結果的には不的中となった理由だが、合理性はある場合)と、結果を見てから評価できるもの(結果的には的中したが、合理性について判断がつかなかった場合)があるので、両方の配点を別個にできるようにしたほうが良いのかなと思っています。

結局、審査員がデータの真偽を確かめるのは難しいので、言っていることが本当に思わせる内容であれば「根拠」として評価はできる、というので良いのではないでしょうか。」


「芸術化緒論<対談編3>」2009年01月31日

(ワックスムーン)
根拠を示すことは出来ても、その根拠や視点が間違っていて、結果に全然結びついてないとすると、やっぱりそれは形式上整っているけど、中身はないという事になっちゃうのかな。
的中していない予想が、的中した予想を芸術的に上回るケースは、やっぱり根拠の差?
でも根拠が正しければ、結果が伴うはずであって、的中せずに芸術性が高いというケースもないような。。。
やっぱり最低条件として的中しないと美しい予想にはなり得ないんだろうね。


<スカイポット>
根拠や視点の精度については、「根拠」のテクニカルエレメンツ部分で採点することになります。プログラムコンポーネンツ部分として、形式上各馬について買い消しの根拠を語っていればそこの点数は入りますが。

評価基準の話に入ってきましたね。
的中していない予想が的中した予想を総合点で上回るケースは根拠の差でしょうね。
私は結果4割、根拠4割、芸術性2割にして、まぐれで的中した予想(結果4割)が根拠をほぼ完璧に書いた予想(根拠4割)と同レベルになってもおかしくない採点にしたいと思っています。

例えば極端な話、サイレンススズカが競走中止した天皇賞秋で、Aさんは特に合理的な根拠なくサイレンススズカは負けると予想して的中、Bさんは根拠ある予想をして、サイレンススズカからオフサイド、ステイへの馬連を買って不的中でした。

AさんとBさんの予想どっちが上ですか?って考えると、Bさんのほうも評価してあげたいと思うんですよね。もちろん、結果も無視できないのでAさんもポイントは入りますが、外れたら0点という採点法は不適切だと思います。予想上手の馬券ベタとはよく言いますが、根拠は的を得ているのに、馬券選びを間違えて的中できなかった、そういう予想にもそれなりの点数を与えて、その人の予想平均点を高めてあげたいです。

今考えている評価基準の枠組みをもう一度書いておきます。まだまだ検討の余地はたくさんあると思います。

「結果」40点
・的中点(20点)…短期勝負では的中すれば20点。ただし元返しを割った場合は10点。長期勝負では的中率3%ごとに1点。
・回収点(20点)…短期勝負では回収率0%なら0点。20%ごとに1点追加。回収率100%〜119%で5点。400%を超えた場合はその他の点数加算がある可能性がある。長期勝負ではその2倍とする。

「根拠」40点
・構成点(15点?)…1〜3番人気と印を打った馬への説明があるか、指定された中で指定数の予想要素(能力、馬場差、展開、データなどを検討中)が入っているか、文章が合理的で矛盾を生じていないか等・技術点(25点?)…書いた内容が妥当であるか(事前に把握できる範囲で)

「芸術点」(20点)…審査員次第だが、あまりにも漠としているのも統一性に欠けるので、項目をいくつか設けるべきか。根拠と結果の整合性に10点くらい配点?

(ワックスムーン)
>Aさんは特に合理的な根拠なくサイレンススズカは負けると予想して的中、Bさんは根拠ある予想をして、サイレンススズカからオフサイド、ステイへの馬連を買って不的中
→スズカの秋天を例示として出したのは分かりやすいね。
ただ、これも結果論なんだよね、全部。あのままスズカが故障しないでゴール盤を駆け抜けられたかは、可能性の話であって、真相は永遠に不明な訳でしょ?
仮にさ、Aさんが合理的な理由でスズカを消して、オフサイドとステイを本線にしていたとしたら、スズカが故障したのは偶然だから、この人の予想は根拠が低いと誰が裁けるのかって話もある。
特に合理的な根拠なくスズカを消したという前提があるけど、何が合理的な理由と認定するかというのも非常に難しいケースも出てくるだろうね。
合理的か非合理的か。ここの判断は結果に左右されてはダメな部分だよね。勝ったから合理的、負けたから非合理的というのは違うと思う。
じゃあ、このケースで合理的な理由は何だろうね?
連勝してきて、前走はレコード勝ち。疲れによる凡走リスクが高いこと。オッズが低すぎて妙味薄であること。簡単に言うとこれぐらいかな?若しかしたら逃げ馬が秋天を勝っていない(かどうかは知らないけど)とかいうデータもあるのかもしれない。
これらは合理的な理由になるよね?仮にスズカが圧勝したとしても。
非合理的なのは、1番人気が負けやすいレースだからとか、単にそろそろ負けそうな気がするとか、そんな程度の理由の場合かな。これだとオカルトじみているし、納得性は低いもんね。仮にスズカが凡走したとしても合理的な理由にはならない。

ちょっと具体的な話になるけど、あの秋天ではスズカを本命にするのが俺も妥当だと思うから、それ自体では評価は上がらない。2番人気メジロブライトや3番人気シルクジャスティスをスピード決着は向かない事を理由に消去しているかどうかというのが、根拠として一番求められたものかな。
ステイは4番人気、オフサイドは6番人気と決して買えない馬ではないからね。2,3番人気を消せるなら、尚更。
個人的には当時スズカ鉄板だと信じていたので、スズカからステゴ、オフサイド、ローゼンカバリーの3点勝負だったよ。当時は馬連しかなかったから、絞って勝負というスタイルだったからね(笑)
今なら4頭に絞れている訳だから、保険で相手の馬券も買うだろうな。そういう技術は、評価されるんだよね?
結果、スズカが楽勝したとしても、そのリスクヘッジの3頭の馬券を買ったことで芸術性が否定されるものでもないよね?

結果が1つしかない以上、根拠って必ず結果とリンクして評価されるべきものだと思うんだよね。
何の競技でもそうだけど、10回走って10回とも同じ結果になるはずがない訳ない。終わった時点での結果だけが事実として残るんだよね。あまりに不的中になった場合の根拠を優遇すると、タラレバだらけの世界になりそうで、ちょっと怖い。

事前に想定できないようなレース展開(極端なスローやHペース)、想像以上に馬が成長していた場合、若しくは、買った馬の出遅れや最悪の場合の競走中止とか、その可能性は常にある訳だから。
全員がその不確定要素を前提にして予想している。もっと言えば、その不確定要素をどう捉えて、最終的な馬券を決めるか。それこそが本当の意味で求められる予想技術だと思うしね。

仮に予想根拠が完璧だったとしても、それが結果に結びつかないのであれば、厳しい言い方をすると、予想のセンスがないと言わざるを得ないね。
競馬には常にリスクが付きまとうから、リスク分散のために、点数をたくさん買うというのはナンセンスな話だけど、結局リスクと運用益のバランスをどう取るかという問題だよね。
それを踏まえた上で芸術性の話を議論して行きたいね。

何がラッキーパンチかって、結局分からない。一応合理的な根拠を示していれば、それで当った人に、あれは可能性が低かった。たまたまラッキーで当ったとは言い難いよね。

例えば、人気薄が入った場合の回収に期待して5頭BOXで買ったCさん、3連単で3頭BOXに絞ったDさん、3連単1点に絞ったEさんの3人がいたとする。
それぞれが印を打った馬に対する根拠は合理的なものというのが前提。

分かりやすいように、08年の皐月賞を例にしよう。
Cさん キャプテン、タケミカ、チャールズ、レインボー、レッツゴーの5頭BOX
Dさん キャプテン、タケミカ、チャールズの3頭BOX
Eさん キャプテン→タケミカ→チャールズの1点

これの誰が一番評価される?
Eさん、1点勝負的中は確かに凄いけど、チャールズの3着はギリギリだったし、どう見るかね?
Cさんの考えは合理的だし、レインボーやレッツゴーが馬券圏内に入る可能性だって十分にあったとすると、これはこれで素晴らしい気もする。Dさん、Eさんよりも回収面で劣るけどね。
凄く難しいよね。極端な例を取っているので、こんなケースはまずないとは思うけど。

もっと言うと、単1点勝負で買って、勝利した場合の難しさ。
これも例をとってみると、08年の秋天。
合理的な根拠でウオッカの単で勝負したFさん、合理的な理由で、ウオッカの単、スカーレットの単2点で勝負したGさん。
ウオッカが楽勝したならFさんという気もするけど、あれだけ僅差だとGさんも同等の評価になるのかな。
ウオッカ、ダイワの単2点と2頭の馬連1点でどっちのほうが回収率が高いかという問題はもちろんあるんだろうけどね。

いやー、予想の審査って恐ろしく難しい作業だね。ウオッカが勝ったんだし、Fさんの勝負勘は素晴らしいと言うのは分かるけど、それが果たして、我々の目指すところの予想芸術とイコールかというと違うような気もするしね。


<スカイポット>
私も今の提案が良いと確信してはいないので、こういう事例を出して頂くと面白いですね。
まずはサイレンススズカの取捨で分かれたAさんとBさんから考えていきましょう。

と、いきなり横道にそれますが、故障って事前に予想できますか?

今回のレースで故障する可能性が高いって言える合理的な理由ってあると思えないんです。過去の馬で言えばサンエイサンキューはいつか故障しそうな使われ方をしていて実際にそうなった例だと思いますが、有馬記念で故障すると断言できないですよね。獣医とか厩舎関係者で脚の状態とかをチェックしている人ならその時危ないっていうのがわかるのかもしれませんが…。だから、故障を前提に予想するっていう合理性はないと思うんですよ。別にしたい人はしてもいいですけど、相当の理解できる理由を書いてもらわないと根拠として評価しにくいと思います。

今回のAさんはスズカが故障しなくても負けると言っている前提なので話を戻します。ずるいことにAさんの理由は合理的でないという書き方をしたんですが^^;

>じゃあ、このケースで合理的な理由は何だろうね?
>連勝してきて、前走はレコード勝ち。疲れによる凡走リスクが高いこと。オッズが低すぎて妙味薄であること。簡単に言うとこれぐらいかな?若しかしたら逃げ馬が秋天を勝っていない(かどうかは知らないけど)とかいうデータもあるのかもしれない。
→審査員の個性やレベルに左右されますけど(極論を言えばこれになってしまいますが)、私だったら連勝、前走レコード、疲れ、オッズとの兼ね合い、逃げ馬が勝っていないというのは、オッズ面を除いて、スズカの軽視材料としてあまり合理的とは思えないですね。本文中にデータがあれば良いかもしれませんが、一般論で取捨選択をするのは稚拙じゃないでしょうか。

>非合理的なのは、1番人気が負けやすいレースだからとか、単にそろそろ負けそうな気がするとか、そんな程度の理由の場合かな。
→これはそうですね。なので今回Aさんはそろそろ負けそうという理由で消したとしましょう。審査員によってはAさんの勝負勘を評価する人もいるかもしれませんが、私はAさんの的中はラッキーだったと思います。そもそも勝負勘って、しっかりとした根拠がなければ偶然だと思いますし。

ではAさんの理由が合理的だった場合。例えば、Aさんのスズカ失速の根拠に、スズカの逃げが1000m57秒前半になることを記述し、ハイペースラップでは乗り切れないコースというデータを紹介している(馬場差なども考慮している)ものだったら、どうか。

>仮にさ、Aさんが合理的な理由でスズカを消して、オフサイドとステイを本線にしていたとしたら、スズカが故障したのは偶然だから、この人の予想は根拠が低いと誰が裁けるのかって話もある。
→というご指摘はその通りで、この場合は、スズカが来なかったのが予期不能なアクシデントであったとしても、Aさんの的中はラッキーではないという評価をして良いと思います。

>今なら4頭に絞れている訳だから、保険で相手の馬券も買うだろうな。そういう技術は、評価されるんだよね?
>結果、スズカが楽勝したとしても、そのリスクヘッジの3頭の馬券を買ったことで芸術性が否定されるものでもないよね?
→いずれも評価されて良いと思います。

今回の例題はAさんとBさんで、従来の予想大会ならAさんが100点、Bさんが0点であるものを、むしろBさんのほうが上に評価できる可能性もあるんじゃないか?というものと考えて頂ければ。


根拠を結果とリンクして評価するというのはそうしましょうか。私もどっちが良いのかわからなくなっているところがあって。結果と根拠を一緒に見るのは芸術点という話もあったので。


>仮に予想根拠が完璧だったとしても、それが結果に結びつかないのであれば、厳しい言い方をすると、予想のセンスがないと言わざるを得ないね。
競馬には常にリスクが付きまとうから、リスク分散のために、点数をたくさん買うというのはナンセンスな話だけど、結局リスクと運用益のバランスをどう取るかという問題だよね。
それを踏まえた上で芸術性の話を議論して行きたいね。
→結果に結びつかないということは「結果」部分の配点が入らなくなる(完璧な予想をしても40点にしかならない)ので大丈夫でしょう。総合点が高まることが芸術的予想のレベルアップなわけですからね。


Cさん、Dさん、Eさんの出てくる皐月賞の例も誰が評価されるかは、「結果」面ではE>D>Cの順になるでしょうが、「根拠」についてはそれぞれの理由が合理的かどうかによるということです。
僅差接戦だけどこの5頭で決まるということを合理的理由で説明していればCさんの根拠は完璧です。
Dさんはさらにレインボーとレッツゴーの可能性を合理的説明で消せていたら完璧です。
Eさんはさらにキャプテン、タケミカ、チャールズの順に入ることを合理的に説明できていれば完璧です。が、Eさんの3連単1点を果たして合理的に説明できるのかは疑問ですね。至難だと思います。Eさんの説明に納得いかない強引な部分があれば、多少減点されて、E>D>Cの順位が変動する可能性があります。


08年の秋天の例。
ウオッカの単のみのFさん、ダイワとウオッカの単にしたGさん。
「結果」部分はF>Gの点数になりますが、これも両者の根拠次第で逆転があるということになります。

(ワックスムーン)
いや、ほんと難しいよ。試行錯誤の繰り返しだね。

故障リスクについては、そのとおり。予見不可能な極端な例だよね。俺も予見できるケースはないし、合理的な理由を事前に提示するのは難しい気がする。
とりあえず、疲労による凡走リスクという事でいいと思うけど、それを判断する場合、一般に入手できる情報としては調教タイムぐらいになってしまうよね。
タイムが遅い、本数が少ない事を理由に凡走リスクが高いと言って、実際に凡走すれば、合理的といえるかどうかは難しいところ。
難しいけど、実際にそれが人気馬で、現実として凡走した場合は、その判断や根拠も評価されて然るべきなのかもしれないね。どれだけ精緻なデータを提示したうえで、納得させられるかどうかだろうけど。

Dさんはさらにレインボーとレッツゴーの可能性を合理的説明で消せていたら完璧です。
Eさんはさらにキャプテン、タケミカ、チャールズの順に入ることを合理的に説明できていれば完璧です。
→それぞれを完璧な根拠を述べるのは難しいよね。どうしても結果論になってしまう気がしてさ。もしもレインボーやレッツゴーが馬券になっていたら、やっぱりその根拠ではダメだったという事になるのであればね。

根拠が正しいかどうかは、着差に起因するのかね?
その結果以外を想定すること自体がおかしいと思えるぐらいに着差がつくレースってあるじゃない?
若しくは馬券圏内の可能性を考えた馬が惨敗するとかさ。
例えばシンボリクリスエスが大楽勝した有馬記念とかなら、シンボリ以外の馬を1着に推している場合の根拠は0点になるのかね?

いやー、いろいろ考えると面白いね。1回、ちゃんと討論してみたいよ。いろんな人の意見も聞きながらね。


<スカイポット>
面白いですね。審査員を納得させるための取捨の根拠を1頭1頭書いていたら実際問題やってられなくなりそうですが(苦笑)

人気馬を軽視して、実際に凡走したとして、根拠に書いた理由が原因だったかどうかはわからないですよね。とすると、根拠の点数はいかにそれが原因だと納得させられる文章を書いているかどうかになると思います。根拠が合理的でなければラッキーだったと考えられてしまう。それでも結果点はつきますから、不当に評価していることにもならないと思います。

根拠の正しさが着差に起因するかどうかもケースバイケースですね。例示されたシンボリが9馬身差勝った有馬なら、シンボリが負けると説いた人の「根拠」(技術点)は当然少なくなるでしょう。逆に、結果的に本線が1〜3着で決まったD、Eさんの予想が着差が僅差だから評価を下げようというのは微妙なところですね。ハナ差の4着でも消えたことには変わりはなく、合理的な理由によってズバリの結果を得たのであれば評価は高くして良いと思います。

強引な根拠を作っても点数が上がりにくいシステムなので、ヤマを張って大当たりを目指すより、無理せず自分が持っている合理的な予想技術で絞れるところまで絞る、その人本来の予想力が問われる基準になるんじゃないかと期待しています。


「芸術化緒論<対談編2>」2009年01月30日

(ワックスムーン)
自分の得意フィールドはそれぞれあるだろうからね。芝かダートかの違いもあるし、人によっては障害レースをメインにしている人もいるかもしれないww
根拠のある予想をするためには、出走メンバーの力関係を正確に把握している必要もあるから、生半可な予想家では出番すらないかもしれないね。
どこに重点を置くかだけど、最終的な理想として、普遍性のある予想評価基準の構築を目指すのであれば、できる限り多くの人に参加してもらう必要があるから、やっぱりGTとそのトライアル的な位置付けの重賞レースを対象にするのが、分かりやすいし、間口も広いんじゃないかな。
採点するにしても、未勝利や500万のレースじゃ、注目度も低いし、参加者も少なくなってしまう。それだとアピール度も低くなるよね。
もちろん古馬戦はやらないとか、3歳戦はやらないという人もいるだろうけど、高い予想技術を競うのであれば、せめてGTレースぐらいは予想できるようにならないと、普遍性のある予想をしているとも言い切れない気もするし。
もちろんこのレースは難しいと回避する能力も評価したいから、最低参加レース数を絞って、難しいと思った場合はパスするようにすればいいんじゃない?
バランスよく古馬、若駒のレースを盛り込んで、それで古馬、あるいは若駒をパスしても条件を満たすようにするということで。

俺が考える春の天下一予想会の対象レースは、
スタートは3月(冬場はダート変更リスクもあるし、やらないほうが無難でしょ。)にして、芝レースのほうが体系化されていることを考慮して、まずは芝重賞のみを対象としてみる。
3〜6月の対象レース30中14レースを予想することが必須条件。
古馬は◎、若駒は○でほぼバランスよく対象レースにしているので、6月以外は若駒戦のみで戦うことも可能。
最低予想レースをクリアするためには、若駒戦メインの人は若駒戦を全て予想しなければならなくなるけど、古馬戦は回避という大きなカードを切っているので、それはそれで仕方ないと考える。あまりにそこを優遇するのもどうかと思うしね。

3月(最低4レース予想すること)
2009/03/01 ◎中山記念(G2)   1800m
2009/03/07 ○チューリップ賞(G3) 1600m
2009/03/08 ○報知杯弥生賞(G2) 2000m
2009/03/15 ◎ローレル競馬場賞中山牝馬ステークス(G3) 1800m
2009/03/15 ○報知杯フィリーズレビュー(G2) 1400m
2009/03/22 ○フジテレビ賞スプリングステークス(G2) 1800m
2009/03/22 ◎阪神大賞典(G2) 3000m
2009/03/29 ◎高松宮記念(G1) 1200m

4月(最低3レース予想すること)
2009/04/05 ◎産経大阪杯(G2) 2000m
2009/04/11 ○ニュージーランドトロフィー(G2) 1600m
2009/04/11 ◎サンケイスポーツ杯阪神牝馬ステークス(G2) 1400m
2009/04/12 ○桜花賞(G1) 1600m
2009/04/18 ◎読売マイラーズカップ(G2) 1600m
2009/04/19 ○皐月賞(G1) 2000m

5月(最低4レース予想すること)
2009/05/02 ○テレビ東京杯青葉賞(G2) 2400m
2009/05/03 ◎天皇賞(春)(G1) 3200m
2009/05/09 ◎新潟大賞典(G3) 2000m
2009/05/09 ○京都新聞杯(G2) 2200m
2009/05/10 ○NHKマイルカップ(G1) 1600m
2009/05/16 ◎京王杯スプリングカップ(G2) 1400m
2009/05/17 ◎ヴィクトリアマイル(G1) 1600m
2009/05/24 ○優駿牝馬(G1) 2400m
2009/05/30 ◎金鯱賞(G2)  2000m
2009/05/31 ○東京優駿(G1) 2400m
2009/05/31 ◎目黒記念(G2) 2500m

6月(最低2レース以上予想すること)
2009/06/07 ◎安田記念(G1) 1600m
2009/06/14 ◎エプソムカップ(G3) 1800m
2009/06/14 ◎CBC賞(G3) 1200m
2009/06/21 ◎マーメイドステークス(G3) 2000m
2009/06/28 ◎宝塚記念(G1) 2200m

後は昨日考えた券種と点数の縛りを入れていく。昨日はワイドを入れるのを忘れていたし、いろいろ修正点はあると思うけどw
考えたけど、トータル60点までにすれば、3連単BOX60点を認めて構わないね。
5頭にしか印を打っていない時点で綺麗な予想と考える事も出来るしね。
実験的に開催してみて、いろいろアレンジしていくしかないよね。


<スカイポット>
確かに、普遍的な基準を目標とする以上、間口の広さは求められますので、最低でも芝重賞を対象とするべきですね。重賞のほうが注目度が高いというのもありますよね。あとは、自分のテリトリーだけを選べるようにしておけば良いので、ワックスさんの提案内容は良い方向だと思います。

3連単5頭ボックスはまあまあ芸術性高いと思いますよ。先日若駒ナビで予想した中に久しぶりにそのパターンで買ったレースがあって、1番人気が頭になる可能性が低いことを理由に購入し、4番人気が勝ってくれたので回収率が300%を超えました(1〜4着が選んだ5頭で占められました)。こういうのはまずまず綺麗だったと思っています。

まとめますと、今後行うべきことは
○審査基準の創設(スカイポット、ワックスムーン氏案あり)
○大会期間や対象レースの設定(ワックスムーン氏案あり)
○大会ルール(券種と点数の縛り等)の検討(券種と点数についてはワックスムーン氏案あり)
○審査員の選定
○予想大会参加者の募集

上3つをこれから詰めていくということで。
下2つも課題ですね。
審査員は様々な予想技術に長けていて、予想文である程度表現もできる人にやってもらわないといけないので、有名なサイト・ブログ・メルマガのオーナーや著名な予想家にやってもらいたいところですね。
透明性を確保するために、審査の点数(できたら寸評も)は全て公表したいところですね。

参加者もそれなりの方でないとついていけないので、有名なサイト・ブログ・メルマガのオーナーや腕に自信のある参加希望者で構成したいですね。ここで問題なのは、有料予想情報を運営している方を引き込めないだろうという点です。生活がかかっていたら、なかなか賛同して参加してくれることはなさそうですね。かといって有料にしなければ給料をお支払いするほどの余裕はないし、既に各々が運営している有料情報媒体の質低下につながりますよね。

そうなると、この大会のネームバリューを上げて注目を集めたり、優勝することでライセンスが発行されるとか、何らかのプラスアルファがなければそういう人に参加してもらうことはできないでしょう。このあたりはたまバスさんが考えている協会設立に期待しています。

難しいですね。
ルールを先にやりますか?

(ワックスムーン)
3連単5頭BOXまでは許容範囲としよう。
実際に勝てる可能性のある馬はそう多くはないとは思うけど、不慮のアクシデントとかも起こりうるのが現実だから、リスクヘッジの方法としてのBOXを否定する訳にはいかないしね。
スカイくんが的中させた理由、結果、買い方であれば理屈に叶うし、芸術性もあると思う。

いろいろやることはあるね。
参加者に制限があるとダメだから、有料の人も参加できるような余地を残しておいたほうはいいよね。
例えば、有料でやっている参加者の予想は事後公開でもありなんじゃない?
「これを見たい人は、会員になれば閲覧できます」みたいにしておけば、有料予想者にとっては宣伝にもなるだろうし。まあ、そこで無料組や他の有料組に負けてたらダメだから諸刃の剣ではあるんだけどww
有料予想事後公開スタイルでやる人には、大会主催者には事前に買い目を送ってもらっておけば、それを事後的にそのまま公開するプラスPAT購入画面なり馬券なりの画像を出させるようにさせてもいいし、なんとかなるでしょ。
個人的にはなんのネームヴァリューもない大会に名のある人が参加してくれるとも思えないので、最初は無料ブロガー等が中心でいいんじゃないかな。
実際、想定している60点縛りで、的中を積み重ねていく予想家がいたら、いろいろオファーがあると思うよ。最強の法則によくそういう企画あるし、多分、それぐらいのレベルなら予想本のオファーも来るだろうしね。
そうやって大会の認知度をあげていけば、有名な人も参加してくれるようになるんじゃないかな。
やっぱり目指す大会やタイトルがないと競技って廃れていくから、本当の意味で予想力を競える大会になるよう育てていく必要があるよね。
優秀な予想家を発掘するというのも、競馬をより身近なものにしていく上では必要なことだろうしね。競馬はやり方次第で勝てるものだということを証明して行けるだろうから。

最初から審査員と考えると堅苦しくなるから、大会の結果を見て、ベスト予想賞とかベスト配当賞とか、そういうのを考えて行けばいいんじゃない?最初は。
そこの中で評価軸も多少なりとも見えてくるだろうし、その大会運営サイトで閲覧者に週単位や月単位で一番いいと思った予想に投票させてもいいしね。
拍手とか押すボタンとかあるじゃん。あーいう簡易なものでもいいし。
レースに使える金額、点数を同条件にすることで評価はしやすくなるでしょ。

運営側の人間はどうしても必要になるから、そこはたまバスさんかな?やっぱりw
たまバスさんの会社主催という形でやれば、若駒ナビにとっても悪いことではないだろうしね。

ということで、最初は、予想する際の必須要件、大会期間、対象レース、券種、点数等の購入方法の制限のルールを決めてしまいたいね。
簡単にまとめると、こんな感じかな。

予想必須条件 自分なりの根拠を提示したうえで予想文を書くこと。1〜3番人気、印を付けた馬には各馬に対する評価コメントが必須。
大会期間 春シーズン 3〜6月 秋シーズン9月〜12月
対象レース 芝重賞レース。主催者が指定した芝重賞レースの中から、予想するレースを任意に選択させる。月間最低予想数の設定。
券種、点数 券種はフリー。点数は60点、金額は6000円までとする。

券種はあんまり細かく単勝なら○点までとかすると面倒だし、3連単のBOXを認める以上は、制限も無意味だと思うので、点数縛り、金額縛りだけにしよう。
60点しかなければ、そう闇雲にいろんな買い方が出来るとは思えないし、ラッキーパンチの発生も相当程度防げるでしょ。予想根拠も必ず書くことになっている訳だし、そうそう間違いは起こらないんじゃないかな。

出来れば2009の春にプレ大会をやってみて、秋に本格開催というのがいいんじゃないかな。


<スカイポット>
そうか、参加者の希望で事前公開の有無を選択できれば解決できますね。
事前の予想情報を魅せたほうが盛り上がるでしょうけど、実際のところ勝負の面もありますから、封じ手にしたほうが戦術的だと考える人もいるでしょう。

運営側はたまバスさん主体でいきましょう。私の運営では全く広がらないと思いますし、たまバスさんなら有名な人ともつながりがあるかもという期待もありますから(笑)SNSでできる方にも参加してもらいたいですね。

ワックスさん提案のルールについて。

予想必須条件 自分なりの根拠を提示したうえで予想文を書くこと。1〜3番人気、印を付けた馬には各馬に対する評価コメントが必須。
→評価コメントについては「根拠」(プログラムコンポーネンツ部分)及び「芸術点」に影響する部分ですね。書いていないと配点の対象になりませんよってことです。予想文の構成上、3番人気馬には触れられないけど、触れないほうが綺麗だ、という自負のもと書かれた予想文なら構わないと思うので。根拠が低くても芸術点が上がるかもしれません。
印だけ書いてくるのは失格にして良いと思います。
修正案:
予想必須条件 自分なりの根拠を提示したうえで予想文を書くこと。予想文を運営者の定めるウェブ上に公開すること及び運営者の定める予想審査基準に同意すること(ただし、公開時間をレース後に指定することも可能)。

大会期間 春シーズン 3〜6月 秋シーズン9月〜12月
→それで良いかと。

対象レース 芝重賞レース。主催者が指定した芝重賞レースの中から、予想するレースを任意に選択させる。月間最低予想数の設定。
→主催者が指定したというところ、期間内の芝重賞レースならどれでも良いというのはできない理由があるんでしたっけ?月間最低予想数は3くらい?

券種、点数 券種はフリー。点数は60点、金額は6000円までとする。
→金額はわかりやすく10000円までで良いと思います。券種はフリーにしたいんですが、単勝は1点3000円(1/3)以上、複勝は1点5000円(1/2)以上買わなければならないという規定と、券種は3つまでという規定はつけたいですね。
あとは最初の資金設定。月の最低予想数が3Rなら100000円くらいですかね。

資金を最大にした人が優勝ではないのがこの大会です(笑)賞金王くらいのタイトルは出るんでしょうけど。あくまでも総合的な予想芸術性の高さを競う予想大会にします。

(ワックスムーン)
3番人気に触れないほうが美しいというケースはちょっと分からないなぁ。
余計な事を書いたことによって全体の論理が若干矛盾するというケースかね?
予想には何らかの根拠が大前提だと思うし、「消した理由を書くと都合が悪いから」というのであれば、それで芸術性が高いとは到底思えないんだけどな。
単勝1点買いにするのであれば、それ相応に、何故その単勝1点勝負なのか?というのを語って欲しい訳であって。そういう部分を認めてしまうと、結局どこにでもある予想大会と同じになってしまうと思うけどね。
単1点勝負そのものは潔いとは思うけど、その馬についてのコメントしかなかったら、予想技術を競う場としては相応しくないというか。
一言でいうと読み応えがない。なぜ、そこに至ったのかという過程を見せるという部分が必要だと思うし、そういう技術も磨かないと芸術性も備わらないような気がするよ。
俺個人としては、全馬コメントが望ましいとは思うけど、それだと時間的にキツくなるから、妥協案としての1〜3番人気、及び印を付けた馬へのコメントということなので、場合によっては触れなくてもいいというのは微妙かな。

対象レースに関しては、最初はある程度絞り込んだほうが面白いと思ったけど、平地芝重賞レースに限定して、月間を3ないし4レースにするのであれば、別に主催者が指定する必要はないね。

券種に関しては3種類とする理由が良く分からないけど、より券種を絞ったほうが綺麗だからということかね?
単を買うなら、馬単も買いたいだろうし、馬単を買うなら、3連単も買いたい。
そのリスクヘッジとしての3連複というのもあるだろうから、券種はフリーでいいと思うけどね。金額を限定する訳だから、後の券種選択というのも技術の一つと捉えていいんじゃないかな。
結果として券種の選択が美しかったのかどうかというのも採点対象にしてしまえば。
根拠と矛盾する買い方をしていれば、芸術性は低くなりますよって話だろうし。

「資金を最大にした人が優勝ではないのがこの大会」という部分に拘るとすると、単勝は2000円以上とか複勝は5000円以上とかいう縛りはいらないんじゃないかな。
あと金額の絞り方だけど、1レース10000円というのはちょっと多いかなぁ。
それだと3連単によるラッキーパンチが出やすいような。仮にそれが美しくない買い型の3連単だから、この人の予想の価値は低いと言ったところで、実際にダントツでその人が資金を最大化していたとすると、予想技術を競う場のはずなのに、それが霞んでしまいそうな気がするよ。
俺としては4000円、多くても6000円ぐらいが理想なんだよね。
綺麗な予想を競う大会を目指すなら、可能な限り金額は少ないほうが望ましいと思うけどね。ラッキーパンチを防ぐ意味でも。
本当に綺麗な予想が出来るなら、昨日の皐月賞の例示じゃないけどさ、4000円でも十分戦えるはずだよ。

軍資金の設定だけど、あれもいらないんじゃないかな?
1つのレースに使える金額は決まっていて、最低レース数以上やるかどうかはその人次第な訳でしょ?
全レースやる人はそれでも構わないけど、それで的中率が低いなら、それはそれでその人の選球眼が悪いという事の証明だろうしね。最低レース数以上にやるかやらぬかは当人の自由というのも今回の大会の特色になるんじゃないかな。
金額はあくまで1レースの縛り。後は自由でいい気がするよ。

金額の多い少ないを競う訳じゃないとすると、下手な鉄砲数打ちゃ当る的になんでもかんでも手を出す人もいないような気がするしね。


<スカイポット>
結果的に3番人気になる馬がわからない状態で予想をするので、3番人気に触れるというのを絶対条件にするとちゃんと予想しているのに規定を満たさないケースが出てきてしまうおそれがあります。プログラムとして3番人気以上馬に触れていないだけで直ちに失格にするのはまずいというのが主旨です。
つまり、4番人気や5番人気の馬まで書かなければならなくなり、どうせなら全馬解説するかって方向に進みますよね(笑)。プログラムの点数も取らないと上位には行けないでしょうから、ここを疎かにする人は消えていくと思います。

対象レースは芝重賞から選択ってことで。

単勝と複勝の金額設定をしたのは、的中率を上げるためだけに単勝を多点買いしたり、絶対堅そうな複勝を100円買う等の行為をなくすためです。券種を絞ったのもそういう理由なんですが、券種はフリーでもいいですね。
あさましい買い方では芸術点はゼロに近くなるので、単勝・複勝の金額をフリーにしても良いかもしれませんが、複勝を選ぶ場合は賭け金MAXの半分以上の購入をルールにしたいところですね。

金額は他の大会とは違うところを見せたいという強い思いがあるようなのでワックス氏のご意見を尊重して6000円MAXにしましょう。

最初の所持金についてもとりあえずなくしますか。でも、1回の6000円MAXを上限まで使い切らなくても残らないんですよね(笑)それはそれで、強弱の芸術性を評価されるということでしょうかw

春にもしプレ大会をするとしたら、私は若駒ナビで6000円単位の予想をして、自信があれば@500円なり買えば良いので事後公開で参加できるということになりますかね。

この春はたまバスさんの主体作りが間に合わないので、やるとしても内輪でしょうけれど。若駒ナビメンバー+ワックスさんは確定で、自分の予想は自分以外の全員が審査するとか。審査員って1つの予想に何人くらい必要ですかね。


(ワックスムーン)
確かに人気馬について語らないだけでマイナスというのはおかしいか。人気も事前には分からない訳だしね。
前日オッズが出ている時期なら前日オッズで3番人気以内というのもありだけど、必ずしもそうじゃないしね。
人気馬を消す根拠を述べないと配点が下がるということを事前に周知しておけば、ある程度人気馬についてコメントしないというのは避けられるかもしれないね。
まあ、実力は認めるけども妙味がないので買わないというのでも有りな訳だし、そんなに難しい話でもないか。

なるほど。複勝の件は了解。俺は複勝も単勝も買わないので、良く分からないから、その辺りは任せるわww

1レースに使える金額については、尊重してもらってありがとう!
10000円のほうが楽だけど、敢えて厳しい条件でやることで己を鍛えたいという思いも多分にある。
一般受けも狙いたいので、これなら自分も競馬出来そうだと思わせたいから、1回の飲み代ぐらいにしたいというのもある。
1万円を1レース買う人はかなり少数派だと思うので(苦笑)

6000円の上限については、60点買えという訳ではないから、無論使い切る必要はないよね。1点辺りに多く配分するもよし、使わないもよし、そこは自由だろうね。
ただし、使わないにしても、他のレースに使える訳じゃないから、使う人のほうが多そうな気はするけど。後は回収率との兼ね合いなのかね。

プレ大会をやるにせよ、今からでは間に合わないよね。
いいんじゃない?最初は内輪の開催でも。黒ラベル氏にも声をかけてみようか。
まあ、彼は時間がないから難しいかもしれないけども。

審査に関しては、自分以外の人が採点しながら、どういう採点が一番しっくり来るかを話あいつつ、評価基準に落とし込めるといいかもしれないね。

1つの予想にかける審査員の数か。格闘技系だと3人のジャッジが多いよね。それこそフィギュアスケートなら、かなりいるよね。正確にはわからないけど。
現実ラインは3人ぐらいじゃないの?
評価基準が定まらないうちはそれでも大変だろうけども。


<スカイポット>
そうですね、そこは任せて頂きまして、単勝は1点1000円以上縛り、複勝は1点3000円以上縛りとします。

確かに1R10000円買っているというのは一般的には驚く金額でしょうから、6000円くらいがちょうど良さそうですね。

6000円あって残せないとしても、回収率を考えれば必要以上買う必要はないのでしたね。そこもOKです。

プレ大会をやるって声をかけても私にとりまとめできるのかって話なんですけどね(苦笑)たまバスさんも忙しそうだしなぁ。

審査員は最低3人で、多分3人になるんでしょうね。

ワックス氏の提案されたスパンでの大会は「天下一予想会」でも良いですが、もう少し対戦相手を絞ったタイトル戦も機が熟してからやりたいですね。5番勝負、7番勝負のような。将棋の7冠は名人、竜王、棋王、棋聖、王位、王座、王将ですので、競馬予想では名人、竜王、騎王、騎聖、風雲、覇王、将星とか?(途中から信長の野望になってしまった^^;)

長くなったんでまとめます!
○審査基準の創設…これから。
○大会期間や対象レースの設定…3〜6月(春)、9〜12月(秋)。芝重賞を1月毎3R以上選択する。
○大会ルール(券種と点数の縛り等)の検討…券種フリー。単勝は1点1000円以上、複勝は1点3000円以上の縛り。1R6000円上限、最大60点まで購入可能。
予想必須条件…自分なりの根拠を提示したうえで予想文を書くこと。予想文を運営者の定めるウェブ上に公開すること及び運営者の定める予想審査基準に同意すること(ただし、公開時間をレース後に指定することも可能)。
○審査員の選定…検討中。予想者以外の3名で構成か。
○予想大会参加者の募集…検討中。プレ大会を行えるかは未定。


「芸術化緒論<対談編1>」2009年01月29日

今回からご意見番としてワックスムーンさんにも時折参加して頂き、議論を深めていくことになりました。

(ワックスムーン)
予想の芸術化という視点はいいよね。
確かにテレビの予想家は人気馬を追いかけるだけで全く面白くないし、熱意も感じない。魂の入らないいい加減な予想を聞かされるぐらい苦痛なことはないからね。
亀谷氏らが出てる予想バトル番組は面白かったけどね。みんなその道のプロという感じで。まあ的中実績は微妙ではあったけど。。。


個人的には予想は事件を推理する刑事だと思ってるので、真犯人(勝ち馬)、共犯者(2・3着馬)を見つけるために、何をするかということだろうね。

捜査員(馬券購入者)が刑事(予想家)の意見を聞いて、納得して犯人逮捕に協力(馬券購入)してくれるかどうか、その支持を得るために出来ることが、根拠を持った推理(予想)なんだと思う。

説得力をもってその犯人(勝ち馬)で間違いないと思わせるかどうか、それはひとえにその刑事が提示した根拠(過去の類似事件から導き出される可能性や犯人心理を読む力)について、聞き手にどれだけ納得性の高い説明を出来るかにかかっていると思う。
根拠をどうやって表現するかを磨かないとダメ。

もちろん、提示する根拠、意見に耳を傾けてくれるためには、犯人逮捕(的中)の実績を持っているかということも大きいので、採点基準を考えると、「結果」(的中実績)50点、「根拠・芸術性」(説明文)50点かな。俺が考えるなら。
的中実績の配点は的中10点、回収40点かな。元本割れした的中を評価することは出来ない。単勝とか複勝のほうが当りやすいのは当たり前なんだからね。人気馬の単勝や複勝をバラバラと買って当ってもすげーとは誰も思わないし、アート性は低い。
やっぱ回収率が重要でしょ。
アートって人が考えないようなことを考える力だから、高配当ほどアート性は高いと思うけどね。

>競馬予想では、構成面で馬の能力、馬場条件、展開などの予想要素についての記載があるかどうか、また、それらが矛盾なく論理的に語られているかを採点し、技術面で各予想要素の正確性、精度などについて結果との相関を見て採点することとしてはどうでしょうか。
→そうだね。能力比較、馬場条件、展開は最低盛り込むべきだろうね。結果と整合性が取れていた場合に芸術点を追加ってことで。
根拠は能力比較(20点)、馬場条件、展開(10点)、結果とのマッチングで、ボーナスポイント20点というところかな。
芸術点は基本的に当って初めて加点されるものだということを前提にすると、的中面が70点、根拠が30点になるから、個人的にはバランスはいいと思うけどね。

例えば、去年の皐月賞を例に取ると、能力比較でチャールズは抜けた存在ではない根拠を示し、ブラックシェルは展開面で不利であることを指摘し、キャプテントゥーレが逃げる可能性を示唆し、タケミカヅチがインから差し込む可能性を示唆していると、根拠としては満点かな。30点やっていいだろうね。
で、印が◎キャプテン○チャールズ▲タケミカ△レッツゴーぐらいな感じで、
キャプテンの単    700円
キャプテンからの馬連 300円×3(900円)
キャプテンからの馬単 400円×3(1200円)
キャプテン1着固定の3連単 200円×6点(1200円)
計4000円
とかの購入だったら100点満点だろうね。
ちなみにこれだと11970、30780、81200、165500で、なんと配当総計は289450にもなるww
回収率は7200%!

後、個人的には時間がかかっても全馬についての見解を聞きたいというのもあるね。
買う馬だけにコメントを述べるスタイルだと、何故、その馬を消したのかという根拠が分からず、都合のいい予想に感じるし、読んだ人は、何故あの人気馬を買わないのか?というのも知りたいはずなんだよね。
さっきの犯人逮捕という観点で考えると、18人は全て容疑者なので、いきなり捜査線上から消えるというのは無しだしww
アリバイが必要だよね。消すにしても。

芸術性というのを理解してもらうのは中々難しいと思うので、馬券の買い方も限定すればいいんじゃないかな。そうすれば根拠を述べるときにかなり整理された文章が出来上がるはずなので、芸術性は自ずと高まるかと。
将棋だって、駒ごとに動かし方は決まっているし、マス目は万国共通。ルールはしっかり決めるべきだよね。

単勝や複勝を何点も買って当ったとか、3連単をBOXで120点も買って当ったとかいうのは少なくてもアートではないし、そもそも予想というレベルまで行かないという印象。俺がやってるのも残念ながら予想というより願望なんだよね。こうなったらいいなという。ご都合主義だよww

本気でアートを目指すなら、俺は今のような買い方はしないかな。3連単のBOX買いは卒業したけど、まだまだ点数が多いので。(3連複はそもそも順番を決める馬券じゃないからBOX買いはいいという整理。)
でも競馬ってそんな思い通りに行かないから、当てるためにはある程度の点数は買わないとダメなのも事実。当らないと続けられないからね。

バトルルール
・予想対象レースは全参加者共通(主催者側が提示)
・予想する際はかならず根拠、理由を示した文章を書く。文章には出走各馬の能力比較、展開(馬場条件含む)を盛り込むこと。
・予想の結論として必ず印を打つこと。◎、○、▲、△の順。△は何個打っても構わないが、印を付けた馬は必ず何らかの馬券を購入すること。
・1レースで買える点数は最大40点まで。券種は問わない。予想根拠で消した馬を購入することは不可。
(以下購入方法、点数の縛り)
・単勝・複勝は3点まで。
・馬連は◎、○からの流しのみ。
・3連複BOXは最大で5頭まで。流しの場合は◎、○、▲からの流しのみ。
・馬単は◎、○、▲ 頭のみ。
・3連単のBOX買いは禁止(◎○▲の6点BOXは可)。
・3連単の1着付けは◎○▲以外は不可。

これだと結果オーライで当ることはなくなるし、共通レースの予想なのでバトル感も増すし、公平な勝負が出来るような気がするけどね。
これで結果が出せるようになれば、予想家として相当成長するだろうね。
根拠を提示するにしても矛盾がなくなるし、芸術性も高まると思う。精緻な予想をしようと心がけるようになるでしょ。40点の範囲で当てないとダメなんだから。
まあ危惧するのは、誰も当らず企画倒れで終わる可能性があるってところなんだけど(苦笑)
これで、春クラシックの5戦(皐月、ダービー、桜花、オークス、マイルC)で勝負したら面白いんじゃないかな?
40点なら一般のファンも買える範囲の金額だしさ、やっぱり1万以上馬券を購入する層はレアだから、一般に競馬を認めてもらうためには、飲み代1回分ぐらいの範囲で4、5千円が限度じゃないのかな。


<スカイポット>
なるほど、「結果」(的中実績)50点、「根拠・芸術性」(説明文)50点で、的中10点、回収40点ですか。
的中率が案外大事というのが上級者の視点だと思うので的中率にも配点を重くしたんですが、バランスは再考すべきでしょうか。

的中率を重要視した根拠は、まず土方氏が指摘されているんですが、資金がゼロになる「破産リスク」を回避するために1回の投資金額をコントロールすると、的中率が高いほうが当然高い金額を賭けられるため、例えば投資モデルA(的中率30%で回収率110%)と投資モデルB(的中率10%で回収率150%)では投資モデルAのほうが最終的な収益が大きくなる、ということを説いていることを参考にしました。
ここからは私の持論ですが、的中率の低い回収率って、回収率の信頼性が低くなりますよね。実際にそのモデルでやってみても事前に設定された回収率が出ないとか。
また、的中率よりも回収率に依存した予想法は、それが主流の予想になった時に回収率が落ちるので使えなくなるおそれがあります。
そして何より、より芸術性の高い予想家であればより的中に近い予想をバンバンできないと駄目だと思います。
一発屋よりも堅実さを重視したいと思っています。

ただ、的中率を重視した配点にすると、本命の複勝を100円買って的中率を高めようとか、姑息な手段を使う人間も当然出てくるでしょうから、ワックスさんが縛りをかけたようなルール設定が必要です。できるだけ色々な予想スタイルの方が実力を発揮できる場にしたいと思いますが。

あと、全馬解説もほしいですね。mustじゃなくて良いとは思いますが、人気馬について語らずに消すというのはww
1〜3番人気と、印を打った馬についてのコメントを必須にすれば良さそうですね。

点数の縛りも良いですね。3連単5頭ボックスの60点までほしいですが^^;


(ワックスムーン)
よくよく考えたら、買い方も限定するなら、当てるのもそう簡単な事ではないから、的中25、回収25でも良さそうだね。あまり回収ばかり優遇すると、大会自体が破綻する可能性もあるしね。
まあ、点数を40点に絞るなら一発屋もそうそう出ないと思うしね。
根拠のある的中でなおかつ精度も高く、回収もよければ芸術点がもらえるから、バランスを崩すこともなさそうだし。

各馬コメントについては、1〜3番人気+印を打った馬へはmustということでいいかもしれないね。

3連単5頭BOXも導入するのであれば、トータル点数を60点にするということかな。
点数が増えるのは個人的には歓迎ではあるけど、精度の高さ予想の美しさを競うのであれば、可能な限り、勝ち馬を3頭ぐらいに絞って勝負したいというのはあるんだよね。凄く難しい作業にはなるけど、そういう前提で予想できるようになれば、本物だと思うし。
3連単5頭BOXだと的中してもアート性は低いから、芸術点があまりもらえないというリスクがあるのであればそれでもいいけどね。
まあ、その5頭はハナ差で並んだような結果であれば、満点あげたいけども(笑)
基本的には能力比較という配点項目がある以上、BOXにするには、それ相応の理由が欲しいよね。
あっ、そうか。何故にその券種で勝負するのかという理由も書かせるようにすればいいのか。後から、やっぱり3連単だった、3連複だった、馬連だったと後悔することも多いから、予想家にとっても、そこで熟考させることは意義がありそうだね。
最終的に綺麗な予想を目指す上では、券種の選択も重要になるからね。


<スカイポット>
話が若干前後しますが、回収率に囚われないほうが良いという話の補足です。

>人気馬の単勝や複勝をバラバラと買って当ってもすげーとは誰も思わないし、アート性は低い。
→たしかに。そんな予想につける芸術点は0ですし、理論に矛盾なく複勝多点買いをするのは難しいですから「根拠」への点数も低くなるでしょう。回収率も高くならないので評価は低くなると思います。

>やっぱ回収率が重要でしょ。アートって人が考えないようなことを考える力だから、高配当ほどアート性は高いと思うけどね。
→アート性は高配当に依拠するものではなく、予想のオリジナリティや精度から評価できるのではないでしょうか。

私たちが想像する「尊敬できる予想家」は、「合理的な根拠をもって高配当を取れる」人や、「合理的な根拠をもって当てまくれる」人ではないですか? そうすると、「高配当」がアート性に直結してはいないと思うんです。まぐれ当たりはこの評価基準では上がって来にくくしたいんですよね。なので、「結果」、回収率の割合を若干低めに設定してみたんです。

10頭立てのレースを予想しなければならない場合に、能力がみんな接戦だったとして、どう予想した人が評価されれば良いでしょうか。

A.根拠を元に馬を絞って本線で当てた人。
B.人気薄が入る可能性を指摘して手広くボックスで当てた人。
C.根拠はないもののヤマを張って、馬を絞って本線で当てた人。

従来の予想法ではAとCが当然評価は高いでしょうが、今回の審査ではA>B≒Cになるべきと思っています。


あと、大会ルールという視点ももちろん興味深いんですが、そこでのルールにとどまらず、理想では参加者以外の予想家の予想も審査できる、できるだけ普遍的な基準を作るのが最大目標と思っています。
例えば、巷で予想をしているブロガーや有料予想家の予想も勝手に各々が審査できるような。

そういう視点なので、ルールをしっかり決めるべきという点については、必要最低限の縛りだけで評価できるようにしたいです。将棋と競馬予想はやはり別物で、将棋はルールがなければ成立しない一方、競馬予想はどう予想してどう買うかのルールは無しで成立しますからね。


ワックスさん提案のバトルルールは、個別のタイトル戦で用いるようなイメージですね。

10月頃から隔月くらいで若駒戦の対象レース(重賞3つくらいをピックアップ)で個別タイトル戦を行って、10月、12月、2月それぞれのタイトル保持者+総合点上位2名追加の5名で4〜5月に若駒名人戦を行うとか(笑)G1が5つあるのでかなり盛り上がりそうです^^


(ワックスムーン)
俺の中では点数は40点以内でというのがあったので精度もそんなに低くないという前提で考えていたんだけど、高配当=アートというのは確かに短絡的かもしれないね。ただ高配当が取れる予想というのは必然的にオリジナリティは高くなると思うけどね。
みんなと同じ予想をしていては高配当にたどり着くのは難しい訳だから。
どちらにせよ高配当の前提としては理論整然とした根拠が必要になるという点についてはそのとおり。

スカイくんが言うとおり、尊敬できるのは、「合理的な根拠をもって高配当を取れる」人や、「合理的な根拠をもって当てまくれる」だろうね。
当然どっちも勝てる予想をしているという意味では正しいし、合理的な根拠も提示しているのであれば隙はない。

長期的に競馬で勝てるかどうかは、予想を回避する力も問われるよね。野球に例えるなら選球眼=四球での出塁も評価したいから、このレースは、○○のリスクから回避するというのも何らかの評価をしたいけど、これはどう組み込むべきかな。

>例えば、巷で予想をしているブロガーや有料予想家の予想も勝手に各々が審査できるような。
同じスタンスでやっていないものを評価するのはかなり難しいよね。
格闘技とかをイメージすると分かりやすいけど、立ち技ならK-1が最強だ、でもK-1ファイターは総合になると弱い。だから総合格闘技のほうが強いとかさ、そういう議論って永遠にある訳でしょ。同じルールでやらないものを比べる事は難しい。
ボクシングで考えてみても、階級ってものが設けられている訳だし。そりゃミニマム級のチャンピオンだってヘビー級のファイターには勝てないもんね。だからといって、ミニマム級のチャンピオンの価値は下がるものではないし、別のものを比べるのは難しいよ。

競馬の場合はスカイくんの言うとおり、競馬予想はどう予想してどう買うかのルールは無しで成立しているんだけど、逆にそれが足枷になってる気もするんだよね。
明確なルールが何もないという事が。
だから何が真に有効なのかということもはっきりしない感じもする。
あれは血統なら取れたとか、騎手で買えば取れたとか、自分のフィールドではないから仕方ないという発想に繋がって、結局は十人十色だよねって話で終わっちゃうことが多い。各々の分野を跨いだ議論も少なかった。
同じ条件で戦ってないんだから当たり前だよね。だからこそ予想家というものの地位も高まらず、予想界も発展してこなかったんじゃないかな。

自由度が高ければ高いほど、一つの評価軸を作るのは難しくなるんじゃないかな。
音楽でもさ、何のルールもないけど、ロックにせよ、クラシックにせよ、同じ評価軸では語れない訳じゃん?人によっては耳障りなものが、人によってはリラックスできたり。
今やろうとしているのは、凄く難しい事だし、相当時間をかけてやっていくべきことだろうね。
とりあえず競馬予想の究極の目的を何に置くかという事を明確にする必要はありそうだね。
今までの議論を前提にすると、合理的な根拠をもって、点数を絞り、なおかつ高配当が取れる予想ということになるのかな。しかもその予想がコンスタントに当ると。
スーパーマンだよね、これはww

俺のイメージでは、やっぱり大会ありきなんだよね。
何らかのルールを設けて目線を合わせていかないと、中々全体レベルの底上げは難しいし、自分の提唱する予想理論の精緻性をアピールする意欲も生まれてこないというか。
やっぱり表現する以上は、他者から認められたいという思いが少なからずあると思うので、そういう場を設けて、そこで繰り広げられた戦いの中から、試行錯誤し、普遍性のある予想の芸術性の評価基準を考えていくというのがいいんじゃないかな。
どれが本当に効率的かつ精緻な予想かなんて、結局誰も知らないし、これまで明らかにされて来なかったんだから。

何回も予想バトルのようなものを重ねていけば、こういうレースでは、この予想スタンスが強い、弱いというのが明確になってくると思うんだよね。
仮に的中率でナンバー1になったとして、トータルでは負けたとすると、その的中率ナンバー1の予想の弱点というのも浮き彫りになるだろうし。
普遍性というものを考えると、どの条件、どの時代でも問題なく戦っていける予想力ということだから、短期的な勝ち負けで決められるものでもないから、やっぱり試行錯誤が必要だよね。

限定的なルールの大会で強ければ、フリースタイルではもっと強いとは限らないというのが難しいところだけ、ある程度の評価軸を作る意味での参考にはなるんじゃないかな。


<スカイポット>
確かに選球眼は評価の対象にしたほうが良いんですよね。実際のその人の馬券収支に直結する部分ですから。大体、よくある予想大会はメインレースあたりを必須にしていますから、例えば僕なんかはそれが古馬戦だった場合に自分の土俵で戦えない残念さがあります。つまり、若駒名人戦の大会を作ったとして、若駒戦を土俵にしていない方にとっては、自分の予想能力を遺憾なく発揮できる舞台とは考えられない(負けても自分の総合的な予想能力が劣っているとは認めない)ということになるでしょう。

それならば全てフリースタイル、レースもどれでも良い、賭け金もどれくらいでも良い、馬券種も点数もどれでも良いってして成績で競うとなると、それでは予想の中身が問われないから一発屋が出てきてしまう。全てのレースの力関係を把握して、予想の審査をできる人となるとほとんどいないと思われるのも難しいところです。

ルールで縛って狭い範囲に限定しても良いからとりあえず予想文の内容を採点の対象とする予想大会を行ってみるべき、ということになりそうですね。


「予想の評価基準をざっくりと」2009年01月28日


今日は若駒ナビの定例会でした。
かなり新年会的に語り合う時間が長く、番付会議開始が遅れましたが牝馬に変動が少なかったため終電までに終えることができました。
会員の方は更新をお楽しみに。


さて、話を戻しまして、現時点の予想の評価基準をざっくりと書いてみます。

採点は「結果」(実績)40点、「根拠」(説明文)40点、「芸術性」(ボーナス)20点の100点満点とします。

「結果」は当然当たらないと良い予想になりえないから必須でしょう。
「根拠」はこれがないと魂が入らず個性を発揮できなくなるので必要です。
「芸術性」は根拠と結果が素晴らしくマッチしていたり、点数が絞れている、理論がわかりやすい等、綺麗で精緻な予想であると採点者が思った際のボーナスです。

短期的な採点と、長期的な採点で評価を決める方法があり、いずれが良いかは使い分けになりそうなので、両方のルールを作ります。
(例えば若駒G1・7番勝負なら、前者は1局ごとに勝ち負けを決めていき、後者なら最終的な的中率・回収率を結果の配点で勝敗を決めます)

「結果」のほうは、的中面(20点)、回収面(20点)で考えています。
回収面は回収率0%なら0点。20%ごとに1点追加。回収率100%〜119%で5点となります。400%を超えた場合はその他の点数加算がある可能性があります(短期勝負版)。長期勝負では×2します。
的中面は的中すれば20点。ただし元返しを割った場合は10点(短期勝負版)。
的中率3%ごとに1点(長期勝負版)。
(いずれも案)

「結果」は機械的に出ますのでわかりやすいですね。
次の「根拠」はどうしましょうか。

フィギュアスケートの採点方法を見たところ、テクニカルエレメンツ(技術)とプログラムコンポーネンツ(構成)に分けて採点しています。これを参考にすると、競馬予想では、構成面で馬の能力、馬場条件、展開などの予想要素についての記載があるかどうか(フィギュアスケートでジャンプ、スピン、ステップ、スパイラルシークエンスを入れなければならないのと同様に、予想要素をルール上ピックアップしてそれらを組み合わせなければならないものとする)、また、それらが矛盾なく論理的に語られているかを採点し、技術面で各予想要素の正確性、精度などについて結果との相関を見て採点することとしてはどうでしょうか。

ここは細かくなりそうなのでまた追々(笑)


「社会的地位向上のためにも」2009年01月23日

予想の芸術化は一般の方々に予想を芸術と認めてもらうために競馬の社会的地位向上が進まなければならないんですが、これは両面の方向性があって、予想の芸術化を進めなければ競馬の社会的地位向上を進められないと思います。

なぜなら、今の競馬関係情報ってその多くがギャンブルとしての情報なんですよね。予想コンテストがあれば高配当を当てた人の優勝になります。偶然でもいいんですよね、ギャンブルという認識だから。予想会社の広告も儲かること、実績中心になります。それすら虚偽という悪徳業者もたくさんいると聞きます。ひと儲けしたいから競馬をやっている層もたくさんいるのでしょうから、当たり前と言えば当たり前ですが、もっと予想者が予想家として魂を込めて予想を表現する場がないものかと思います。簡単に言えば、みんなのウマ倶楽部のスポーツ記者の予想対決コーナーをもっと充実させた場がほしいです。あの記者たちの中にちゃんと長期プラスを実現できる予想家がいればまた違うんでしょうけど。

安定した的中率を維持できて回収率もプラスになり、説得力のある予想ができる人が出てこれる予想大会があるといいですね。


「=閉じた世界をつなげること」2009年01月22日

一昨日、将棋の対局みたいなことをしたいと書いた。

将棋の棋士は指し手で対局者と話をし、相手が自分を理解してくれると感じるのだそうだ。

これは凄いわかる気がする。深遠な世界の理解者はライバルであってもその世界を一緒に歩いている相手なんだろう。

その点、競馬予想は基本的に一方通行であり、この孤独を埋めるために僕は対局をしたいと思ったのかもしれないし、評価基準を作りたい(審査を通じて他者の予想を理解しあいたい)と考えるのかもしれない。

昨年来、知っている限り予想されている方で自分の予想スタイルと近いのはぶぎーさんで、お互いの予想力を認め合えていると思う。

異なる予想スタイルでも、ワックスムーン氏の予想は予想のためのツールに違いがあるが、お互いのツールを理解できているから、それはそれで認め合えていると思う。

理解できる相手には自然と親近感が増す。

しかし、競馬はパリミュチュエル方式だから、技術が身に付けば有料にして囲い込んでしまい、閉じた世界に入ってしまい、実力者相互の交流は少なくなってしまう。

これは予想芸術化に反する方向だ。

自分も今やそのひとりとなったが、自分だけ動いても何も始まらないこともわかっている。
むしろ、サービスが大きくなって注目されるほうが近道だろう。


馬流天星の愛読者なら僕の予想の考えは伝わるだろうから、今度は僕に貴方の予想における考えや予想を伝える情報発信(メールでもいいし、ブログやHPやメルマガを作られてご連絡いただきたいです)をして貰えるとありがたい。

予想芸術家志望の方をバックアップしたい。

あ、まずは若駒ナビに執筆できる実力者を見い出さねばならないか(笑)


「芸術って?」2009年01月21日

競馬予想を芸術にするとして、芸術って何?って話もあると思います。
僕は定義とか頭でっかちなことが苦手なのでざっくりと表現すると、

・社会的に価値があるもの
・人の心を動かすもの
・技術的な要素があるもの

という感じでしょうか。

Yahoo辞書で芸術を引くと
「特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動。および、その所産。絵画・彫刻・建築などの空間芸術、音楽・文学などの時間芸術、演劇・映画・舞踊・オペラなどの総合芸術など。「―の秋」「―品」」
と書かれています。

競馬予想がこれに含まれる可能性は問題なくあると思います。
分類では時間芸術になるんでしょうかね。

時間芸術…「時間の推移のもとに表現・享受される芸術。音楽・文学など」


競馬予想における「美の追求・表現」というのは、
予想精度の向上、予言的魅惑に満ちつつ必要十分な情報による表現の追求ということでしょうか。

それをどうやって追求していくか


「ご無沙汰しています」2009年01月19日

 久しぶりにブログを更新してます。
 こちらでは日々の徒然をお話するとともに、タイトルのとおり競馬予想の芸術化へ向けて考えられることを書いていこうと思っています。

 若駒分析ナビゲーションの更新に忙殺されているのでちゃんと書けるか微妙なんですが、先日メルマガに何か自分の中に空虚なものができていて、考えたところそれは一番やりたいと言ってきた「予想の芸術化」に対して、あまり進んでいないからなんですよ。多分。

 若駒ナビでは的中率、回収率ともにそれなりの実績を残していて、ちゃんと予想をすれば世間一般的に“絶対負けるはず”の競馬(ギャンブル)もそうではないということを証明できていると思いますが、これは会員さまの中の限定的なアピールにすぎません。

 では公開するかというとそういう訳にもいかないんですね。たまバスさんの事業は成功してほしいと思っていまして、僕のできることと言えば現状若駒戦予想情報しかありませんから。

 競馬予想を芸術化するというのは実際何をしたいかというと、予想家に予想家であることの誇りを持ってもらえる環境作りをしたいんですよね。簡単に想像すれば、将棋の棋士のような地位を作りたいと思うんです。大きく考えれば世界経済にとって必要ないですが、ファンの中では憧れの存在というか、いつかそこを目指したいと思わせるような。

 で、競馬予想界にも名人戦とか作って、予想対局をすると。将棋と比較すると、競馬予想は対局者の手が自分の手に影響しないはずなんで良い例えではないと思うんですが、イメージとしてはそういう地位を将来的に確立したい(自分の代ではその礎を築くだけかもしれませんが)と思っています。

 基本的に精度の高い競馬予想をできる人はマスコミに出ているあたりではほとんどいませんから、予想家というと「またガチガチの人気通りの予想をしているよ」という風に馬鹿にされてしまいがちです。棋士の羽生氏や谷川氏らのように見られるているとは思えません。


 さて、一歩進むために何が必要かというと、競馬予想の評価(審査)基準を作ることです。競馬予想はご存知のとおり千差万別、色々な予想法があるので、基準作りなどできるわけがないと思われるでしょうけど、とりあえず自分のことを考えて頂ければ、この予想は良い予想だとか、この予想は悪い予想だというのは各自あると思います。それをまとめるのが今回からのこのブログの主旨になります。

 競馬商材の評価するブログ等では評価基準を的中率や回収率等としていますが、僕の目標は芸術化であり、ちゃんとした予想家を育てることなので、それは当たり前に実績が必要ながら、予想文をしっかり書けるかどうかが今回作る予想評価の半分になると考えています。

 精度の高い予想(50点)、必要なことを伝える表現力(50点)

 くらいでしょうかね。