馬券売上げ復活策について


1.競馬人気は衰退しているのか?

 競馬人気が衰退したと言われて久しい。実際私もそう思ってファン創出を目標のひとつとして活動をしてきたし、以下のように競馬人気の衰退や低迷を前提に書かれた文章も多数ある(適当に検索かけてピックアップしたもの)。まず、共通認識として良さそうである。
 
 『[スコアカード-Horse Racing](Number Web)』 3連単の本格導入で競馬人気復活なるか
 『谷川善久の枠入駐立不良につき』 競馬はこのまま衰退するか? 
 『(サラブnet)』 専門記者の競馬コラム 2003クラシックプレビュー
 『nikkansports.com 本紙記者コラム「見た・聞いた・思った」』 スター登場 業界活気 

 人気を計る時に主に参考にされるのが馬券の売り上げと入場者数であるので、ここで軽く確認してみたい。
 あまり知られていないと思うが、JRAのHPにはJRAの成長推移についての表が掲載されているページがあるのでご紹介する。< http://www.jra.go.jp/company/gaiyo/seicho.html >

 表によると、中央競馬の年間売り上げは平成9年の40,006億円をピークに下降し、平成18年には28,233億円(ピーク時の約71%)まで連続して減少している。一方、入場者数は平成8年の1,411万人をピークに下降し、平成18年には750万人(ピーク時の約53%)まで減少している。
 昨年はディープインパクトが天皇賞春、宝塚記念、JC、有馬記念を勝利し、フランス遠征での凱旋門賞がテレビで生中継されるなど世間の注目も大きかったものの、馬券の売り上げ及び入場者数はともに前年比マイナスとなっており、この馬をもってしても競馬人気は下げ止まらなかったというニュアンスで報じられた。

 『Sankei WEB』 ディープのようには…JRA"飛べず" 年間売上高9年連続減 

 しかし、入場者数については、電話(パソコン)投票会員がここ10年ほどで大幅に増加しており、競馬場やウインズに行かずに馬券を買う人が増えたために減少しているだけでピーク時の53%しか買う人がいなくなったわけではない。数字としては、総参加人員はここ5年連続して微増しており、平成18年の16,938万人は過去最高の参加人員数となっている(競馬場への入場者数はそのうちの4%にすぎない)。
 入場者数が減って電話やパソコンからの投票者が増えれば、競馬の衰退を心配する必要なく競馬場が混まなくなるのだからファンにとっては望むべき移行だろう。

 印象からすると驚きなのだが、(総参加人員の数字を素直に信じるなら※)中央競馬に参加している人は増えているのだ。参加人員は増えているのに、売上げが下がっていることで競馬人気が下降していると認識される(報じられる)状況には違和感がある。ハイセイコー、オグリキャップをリアルタイムで経験していない私が競馬の人気の定義や量り方、売上げとの関係について論ずるのは力不足と考え今回は控えさせて頂くが、ディープインパクトを経験しての直感ではスターホースの存在と馬券購入量とはあまり関係ないと思うし、少なくとも売上げ減少の原因は「競馬人気」という曖昧なもので捉えず、他から探るべきと考える。
 ※総参加人員の数え方が不明。例えば競馬場から携帯を使って電話投票することもある。実際の競馬人口は減っているものの、計算上ダブリが発生しやすくなっていて数字が大きくなっている可能性もある。

2.売上げに関する考察

 JRA幹部は頭を抱えているかもしれないが、現状、我々一般の競馬ファンは馬券の売上げが低下してもさして困ることはない。しかし、長期的に考えていくと、売上げは高いほうが良い。
 中央競馬は相当の売上げがあるし、強い馬も出る。まだ真剣に考えることもなくぎりぎりまで努力している訳もないので現時点で危惧することはなさそうだが、地方競馬の逼迫した状況を見ると売上げは重要だと思い知らされる。

 今年3月には岩手競馬が岩手県知事選に絡んで廃止寸前まで追い込まれ、北海道のばんえい競馬もファンの寄付やソフトバンクの子会社が支援することで2007年度の開催をつなぎとめているところだが、両者とも今の体制を抜本的に見直して赤字を解消することは難しい状況となっている。他の地方競馬場もそうだが、問題を認識するのが遅すぎて、廃止の議論がなされる頃には既に累積赤字が相当の額になってしまっているように感じられる。黒船雷電氏のブログの2007年2月15日のエントリに地方競馬の現状がまとめられている(http://d.hatena.ne.jp/kurorai/20070215)が、これを見ると残っている地方競馬の多くも近い将来廃止されると思える程、地方競馬を取り巻く状況は厳しい。

 中央競馬も売上げがこのまま落ちていって赤字に転落し、それが常態化すれば廃止になる可能性もゼロではないし、廃止可否の議論をする時に競馬を汚れたギャンブルとしか考えていない人々が競馬及びその関係者やファンに悪いイメージを持つだろう。その悪いイメージは国会や議会の議員の票にも影響する。売上げをそれなりに維持することは、競馬を長く平和に楽しみたいと思っている我々ファンにとっても重要なことなのである※。

 ※利権や癒着等の構造上の問題については考えなければならないが、業界としての力を維持向上させる(政治の力を得る)ためには、パイを維持拡大していく必要があるだろう。
 ただし、多少右肩下がりで推移させたほうがファンサービスを得るためには有利かもしれない。


 さて、地方競馬の売上げ推移を見ると、バブルの崩壊が売上げ減少の理由に考えられるが、中競馬を除く公営ギャンブル(地方競馬、競輪、オートレース、競艇)がいずれも平成3年にピークを迎え、翌年から減少し続けていること※を考えると、中央競馬はバブル崩壊の影響を受けずに売上げを伸ばす、異例の動きをしていることがわかる。
 しかも、オグリキャップが去った平成2年を過ぎ、トウカイテイオーが平成5年の有馬記念で引退、ナリタブライアンの黄金期が平成6年であり、中央競馬の売上げがピークを迎える平成9年時は時代を代表する超大物のいなかった時期である(平成9年はダービーをサニーブライアンが勝利、有馬記念をシルクジャスティスが勝利した年で、天皇賞春まではサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーが3強を形成していた年)。
 ※地方競馬の売り上げは平成3年の9,862億円をピークに下降、平成17年には3,691億円(約37%)に減少、入場者数は平成3年の1,466万人をピークに下降し、平成17年には521万人(約36%)にまで減少している。参考まで。


 例えば、スターホースたちがブームの火付け役となり、その後数年間の競馬を盛り上げ、彼らが活躍した時期よりも将来の馬券の売上げに貢献していたと考えることもできるが、この説が正しければ、日本競馬史上に残るスーパーホース、ディープインパクトが競馬界を盛り上げてターフを去ったことから今年の売上げは上昇してきそうなものだが、今のところそのような話題はない。中央競馬の売上げについては、今までが異例的に良かったが、ついに魅力を維持できなくなり減ってきている状態のようだ。他の公営ギャンブルも売上げは下降しているので、他の余暇活動に移ったと考えるべきか。

 しかし、冒頭で書いた通り、中央競馬への参加人員は増加しているとすると、あまりお金を賭けずに楽しむライトなファンが多くなったと解すべきであり、維持できなくなった魅力とは、「投資先としての魅力」ではないだろうか。馬券で勝負する人、機会が減ってきたということだ。売上げ改善を目指すのであれば、この部分の対策を考えなければならない。


3.馬券で勝負できる理由

 馬券で勝負する人、機会が減ってきたという点について考えてみよう。私が馬券を沢山買うケースは、「当たる可能性が非常に高く、相応以上の妙味がある」レースと思える時である。
 例えば、私の第三期(2006.9〜2007.5)の実馬券でG1を除くと、いちょうS、シンザン記念、京都新聞杯で購入金額合計5万円以上の大勝負を行っている。
 いちょうSは9頭立てだったものの圧倒的な妙味を感じたため。本命をアロマンシェス(0.4差、6番人気5着)とし、地方馬ボスアミーゴ(0.2差、8番人気4着)もしっかりと買っていた。マイネルシーガル(1着)、マイネシャリマー(0.2差3着)も購入。2馬身半の僅差の間にこれらの馬が殺到したのだから、運が良ければ的中して数百万の利益となっていた(アロマンシェスは直後の京王杯2歳Sで馬券に絡んで19万馬券の立役者となり、見立ての能力が正しかったことを証明している)。
 シンザン記念は予想文(http://blog.mag2.com/m/log/0000140588/108110679.html )にも書いていたが、リスクが少なかったレースであり、200円の3連複1点でもまずまずの妙味を感じられるメンバー構成となっていた。指数1位のアドマイヤオーラが頭となる3連単1580円は更に妙味があった(なかなかこのようなリスクの少ないレースはないため、ここを特別予想にすべきだったと反省しきりである)。
 京都新聞杯はタスカータソルテが普通に走れば勝てるメンバー構成であるにも拘らず、フェザーケープが武豊と前走の勝ち時計が評価され1番人気となり、妙味を感じられた。フェザーケープの前走は異常な高速馬場であり、そこを逃げての勝利だったからパフォーマンスとしては大したことはなかった。

 実体験から推測するに、人が馬券勝負を行うには、予想される的中率が高く(できれば、ほぼ当たると考えられる)、得られる配当とのバランスが美味しいと考えられることが必要だと考える。
 また、ここに到達するためには、A.購入者の馬券術及び経験(自分を信じられるモノ)と、B.新聞その他から収集した情報がマッチすることが必要だと考える。

 例えば、私の場合は、A.天星流馬券術とB.競馬新聞の予想家たちの印や調教及びコメント情報が思惑にマッチしたからこそ、的中可能性が高く、配当が美味しいと考えられたのである。これが自分の馬券術を確立されていない方であれば、A.あるインターネット予想家がある条件で打つ印は本命にできるというデータ(データもその人の扱い方によっては馬券術に値する)、B.その予想家の印、でのマッチングで沢山買われたり、A.ある予想会社の実績が高いことの経験、B.その予想会社の情報、というマッチングになったりするだろう。

 新規参入時点とも共通するが、競馬に関する情報に触れない限り、人は馬券を買う気が起こらないはずで、例えばスポーツ新聞から競馬の馬柱をなくしてしまったら馬券の売上げは相当下落すると想像できる。

 先日、totoBIGがキャリーオーバー続きとなり、6億円の配当が何人分も出るということで大騒ぎとなり、1回で60億円もの売り上げを記録したことは記憶に新しい。私は最初にネット(ヤフートピックス)でその情報を入手したが、その後もテレビ等でかなり大きく扱われていた。この時で購入した人たちの多くは、それらのメディアを通して情報を得て、的中可能性は僅かとしても、その配当を妙味と感じたサッカー素人たちだっただろう。

 以前別のところでも書いたが、私の田舎の本屋には競馬新聞や競馬雑誌が置かれておらず、フジ系のTVのチャンネルがなく(スーパー競馬が見られない)、CMにしてもパチンコのコマーシャルはあるが、競馬のCMは見たことがない。そのような状況で馬券を買う気が起こるだろうか。

 新聞やインターネットの競馬に関する情報は、馬券売上げUPに間違いなくつながっているはずであり、ネットに情報を配信している競馬系ブロガーたちの努力も、どこかの誰かの馬券の売上げに貢献していると考える。

 さて、先に情報(B)のほうを見てきたが、それと同様に勝負馬券を購入してもらうために必要なのが、馬券術及び経験(A)のほうである。


 1990年、和訳された一冊の本が日本の競馬予想史を変えた。競馬ファンなら名前くらいは聞いたことがあるだろう、米国人アンドリュー・ベイヤーが書いた「勝ち馬を探せ!!(原題PICKING WINNERS、山本尊氏訳、メタモル出版)」である。ここに書かれたスピードインデックスの影響を受け、1991年に石川ワタル氏が「競馬 驚くべき秘密の法則(ベストブック)」で時計理論を書き、1992年に西田和彦氏が「革命理論・西田式スピード指数(KKベストセラーズ)」を著したことが契機となり、その妥当性が認められ広く一般に用いられるようになった※。

 ※スピード指数は、開催日も距離も競馬場も違う各馬の過去の走破時計を同じ土俵に上げて能力(スピード指数)を算出し、出走馬の力関係を比較することができる科学的・合理的な予想方法であり画期的なものだった。
実際の計算では、各競馬場における平均的なレベルのタイムを示す「基準タイム」とその馬の走破タイムの差を元に、レース距離や負担重量の高低、コース形態・馬場状態等によって数値を調整し指数を算出するという形が一般的である。

 その当初の頃は、科学的・合理的な予想方法で高配当をたくさん的中できる(妙味がある)ということで、多数のスピード指数支持者やそれを更に改良する予想者を生み、また、スポーツ新聞や予想情報誌にはオリジナルの指数が掲載され、その流れを加速させた。

 一方同時に、精度の高い予想法は的中率の向上にもつながり、予想者側が賭けられると思う額が増加したはずだ。例えば、40%くらい的中できると思う馬の単勝が2.5倍以上なら妙味を感じるが、予想精度の向上により勝つ確率が70%と思えたなら1.6倍でも妙味を感じて買えるようになる。オッズが低くなっても資金を増額して賭けられるようになる。この馬券術を得た人々が妙味のある配当を見て馬券勝負を行っただろうことは想像に難くない。そして、そういう人が多くなるに従って当然のことながらオッズへ影響を与える度合いが大きくなり、妙味のある配当が得られなくなることで勝負する人は減っていったと考えられる。

 馬券の売上げが減少していることについては色々な理由があるのだろうが、私は、スピード指数等の理論によって馬券勝負をする人が増え、馬券購入額が拡大するとともにオッズが影響を受けて妙味がなくなっていき購入額が縮小していった過程が、平成9年をピークにした中央競馬の馬券売上推移なのではないかと提示してみたい。


4.馬券売上げ向上策

 従前より行ってきているであろう、新規ファンを創出するための活動ももちろん行うべきだと思うが、以上の考察から投資先としての魅力を取り戻すという視点からの馬券売上げ向上策を以下のとおり提示してみたい。

@予想理論の発展を進めることとその環境作り
 アンドリュー・ベイヤーが著作で示したスピードインデックス及びトリップ・ハンデキャッピング(こちらは彼も先駆者から学んだ)は日本及び世界の競馬予想界に科学の光をあてたものだった。この時ほどの革命が起きるのは難しいと思われるが、まだ高配当はいくらでも出現しているのだから、今後何らかの更なる高次の科学的・合理的な馬券術によりその部分に光があてられていくことが期待される。

 配当に妙味がなくなるように感じられるようになるなら、フランスで導入されていた5連複及び5連単を発売してみてはどうか。また、5連単ともなれば宝くじ並みの配当が期待できるため、totoBIGのようなランダム馬券も購入できるようにして、賭ける人がいない目で決着したらキャリーオーバーさせてみたらいかがだろうか(複数のレースに亘って勝ち馬を当てる等の馬券は、個人的には投資するレースをかなり絞っているので消極的であるがあってももちろん差し支えない)。

 と言っても、予想理論の発展について胴元が直接何かできるわけではないので、競馬ファンが頑張るしかない。胴元に期待するのは客に対するより良いサービスの提供であり、馬券勝負する客(1Rの購入額が一定以上)や年間トータルの馬券購入額が一定以上の客に対してより上位のサービスを提供することだ。

 例えば、1回に10万や50万以上の馬券を買うための窓口を作って、そこで馬券を購入した人に今後の開催の指定(エリア)席券を配るのはどうだろう。元々、10万の馬券を購入してくれればJRAには2万5千円の利益が出るのだから、相当高額の指定席券を販売しているのと同じにもかかわらず、今まで更に別途料金を払わなければならなかったファンはおそらく歓迎するはずだ。JRAがそのために準備するのは、指定席の一部のエリアだけで良いし、先着順にすれば人数だけ数えておけば席の管理をする必要もない。これが好評なら、1フロア全てこの形態にしても良い。50万の馬券を購入した場合は、普通の指定席券5枚か、G1デーの指定席券1枚を選べるとか、そもそも普通券を5枚溜めればG1の券と交換できるシステムにしても良い。G1を良い席で観たいと思うファンは多いから、強い馬の複勝の元返しでも買って50万を払うだろう。JRAにとって損なことは何もないし(指定席代で10万だし)、学生相手に席取りダッシュをする気にもなれない大人のファンにとってはありがたい。まあ、10万なら私も買えるが、1度に50万となると結構シビアに感じる一方、100万でも買える人もたくさんいると思うので、バランスをどう取るのかが難しいかもしれない。これを更に膨らませて来賓席やダービー・有馬記念の日は混むので普通券10枚とかにするのも面白い。

 例えば、外れ馬券にポイントをつけてみる。100円で1ポイント。それが、1500ポイント溜まれば指定席券と交換(高額購入を促すため、前段の1度に10万購入する場合よりは当然低く設定されるべき)。これを導入すれば、少なくとも馬券のゴミはなくなるし、ゴール前で馬券を投げる迷惑行為も自然消滅する。払い出し窓口で拾った不的中馬券を入れ続ける怪しく情けないオヤジもいなくなるから雰囲気が良くなる。モラルに訴えるには限界があるから(特に前者は「清掃員のおばちゃんの雇用創出のため」と言い訳する人もいる)、このようなシステムを導入してはどうか。

 マスコミ関係の方々には、様々な条件での予想大会を行ったり、新しい予想法のコーナーを設けるなど、予想家の発掘支援をお願いしたい。前述した通り、馬券勝負ができる武器を発見していくことが、投資先としての競馬の地位を上げることにつながり、業界全体の社会的地位の向上につながり、結果的に競馬関係情報の売れ行きが伸びることになるはずである。

A競馬に関する情報を広く発信すること
 今や、パソコンが1家に1台以上ある時代になってきている。すなわち、場外馬券売り場がなくとも、全国から馬券を買える下地ができているということだ。競馬に関する情報も、テレビや雑誌から入るものがなくても、個人が検索すれば手に入る。JRAももちろん、我々競馬ファン(特にサイトやブログを持っている方)に求められることは、より多くの情報を発信していくことである。

 その場合、できるだけ心がけたいのは、競馬のイメージ向上を意識することである。社会的見地からすると、競馬は単なるギャンブルにすぎず、ギャンブルというのは必ず負けるようにできていて(大数の法則)、時に破綻する恐ろしいものであり、そこまで行かなくともお金を無駄に浪費する娯楽と認識されている。大規模なファンのいる娯楽であるにもかかわらず、公の場で「競馬が趣味」とは言いにくい社会的風土がある。私からすれば、野球やサッカーで気違いのように映るほど熱狂的なファンと比べて競馬ファンが特に変だとは思えないし、自分の勝負が含有されている競馬のほうが深くて面白い。圧倒的に効率が悪い宝くじが社会的に認められているのに、競馬はマイナスイメージというのは理解し難いし、競馬の魅力の幅からすれば、パチスロの市場規模に劣るというのもおかしいと個人的には思っている。

 私も常々、「競馬は全く偶然のギャンブルではない」と言ってきて、それを実証するためにメルマガを書いてきたし、その考えを広めるためにHPや無料レポートで文字にしてきたが、力不足なのか世間の見方を変えるまでには至っていない。今後も競馬の社会的地位の向上を目指して自分にやれることはしていきたいと思うが、共感して頂ける方がいれば是非その方向への力を合わせて頂けたら幸いである。

                            (初稿2007.09.24、最終更新2009.07.05)