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第十四期をプラスで乗り切り、事後修正不可・消去不可媒体による事前公開予想で6年連続の収支プラスを達成したが、まだ安定性は物足りない。不的中を次なる的中の糧にできるよう、引き続き努力したい。byスカイポット<2018.1.8〜2018.1.29>

第十三期は、事後修正不可・消去不可媒体による事前公開予想で5年連続の収支プラスに挑戦することとなるが、リオデジャネイロ・オリンピックを見ていると、こんな舞台でプレッシャーを感じてはいられない思いに。自分らしい予想をすることに専念したい。byスカイポット<2016.8.13〜2018.1.8>

彼らはほかに仕事をもちながら、何の見返りも求めず将棋に打ち込み、これだけの実力を身につけたのだ。それをどうしてプロが、奨励会員が笑えるだろうか。将棋を一生かけて究めていくことは、なにもプロだけの特権ではないのだ。by瀬川晶司『泣き虫しょったんの奇跡』<2015.7.27〜2016.8.13>

事前公開予想で3期連続の黒字を達成したことは、競馬予想が知的芸当であることのひとつの証明となったと考える。予想は奥が深すぎて、技術の活かし方や考え方が乱れることもしばしばであるが、歩みを続けてみたい。byスカイポット<2015.3.7〜2015.7.27>

ぼくのアプローチは本質的には簡素なものだ。スピード指数を基準にして上位争いが見込める馬がどれなのか、圏外の馬はどれなのかを考える。その指数ほどには能力のない馬、逆に指数以上に能力のある馬がどれなのかを考える。(中略)予想はアートであって、人間の創造的能力が試されているのだ。決して整然とした公式を適用させて解くパズルなのではない。byアンドリューベイヤー『競馬探究の先端モード』<2014.4.15〜2015.3.7>

多くのギャンブルの中にあって、競馬の魅力は、儲ける儲けないのほかに、かなりの部分で面白いところがある。この面白さは、競馬を何年かやっているうちに感じてくるものである。損得でない競馬の部分―。ここに競馬の最大の魅力がある。
by赤木駿介『日本競馬論序説』(競馬をトータルに楽しむ法)<2014.3.16〜2014.4.15>

自分をマイナスの状態におかない限り、何も外側からは入ってはこない。〜賭けに負けるというのも同じ意味を持っている。〜負けることに自分自身を発見する秘訣が隠されているのである。
by植島啓司『賭ける魂』<2013.12.15〜2014.3.16>

予想理論上、1つのレースにおけるリスクは数多く存在する。それらは当然検討しなければならないが、闘うべき時にまで逃げる理由としないことが肝要である。若駒戦予想第十期、とりあえず一つの山場は乗り越えた。
byスカイポット<2013.9.29〜2013.12.15>

ぼくは競馬というのは、ならす社会というものに対する抵抗だと思っている。ならすことによって得られない、実際の人生じゃ絶対手にはいらないような絶望感と、悲劇感みたいなものを含めて成り立っている(略)。
by寺山修司「対談 競馬論」<2013.8.10〜2013.9.29>

いわば「予想」と「評論」は車の両輪のようなものですが、あるがままの競馬にどっぷりと浸かって予想に没頭していると、いつの間にか中途半端な競馬人になってしまうのです。
by大川慶次郎「大川慶次郎回想録−杉綾の人生−」<2013.6.29〜2013.8.10>

「考え」というものは液体か気体で、要するにとりとめがない。その液体か気体に論理という強力な触媒をあたえて固体にし、しかも結晶化する力が、思想家、哲学者といわれる者の力である。その力がなければその方面にはすすめない。
by司馬遼太郎(秋山真之)「坂の上の雲」<2013.5.12〜2013.6.29>

日本が自分の先祖の信仰から、もはやこれ以上何も得るものはないと考えるのは、これは悲しむべき誤った考えである。日本の近代における成功は、ことごとく、この力によって助けられたものであると同時に、日本の近代における失策は、すべてみなこの国古来の倫理上の風習を必要もないのに破棄したために起こったことも明らかである。
byラフカディオ・ハーン(小泉八雲)「日本」
<2013.2.5〜2013.5.12>

夢のないところに決して誇りは生まれない。人は誇りを失うと、平然と悪事をなすことになる。誇りがあるからこそ、苦しい山道を登り、高い理想へ到達するために自制心が働くのである。夢は、“自分”だけを考えるところからは生まれてこない。社会を考え、世の中を考え、世界を考えるところから生まれてくる。
by江口克彦著(「いい人生の生き方」より)<2013.1.9〜2013.2.5>

これでもか、これでもかと頑張って、
一歩踏み込んで、それでも粘ってもう一頑張りして、
もう駄目だと思ってもズカッと踏み込んで、
そうしていると突き抜けるんだ。
by黒澤明<2012.12.1〜2013.1.9>

夢ではなく、僕の金メダルは目標だった。
これ(金メダル)が僕の価値ではないんです。これからの人生が僕の価値だと思うので、恥じないように生きていくだけです。
by村田諒大
<2012.8.17〜2012.12.1>

人間として最後に残るのはヒューマニズム。勝ち負けは大事であっても、あくまで結果オーライのへ理屈でしかない。個人の持っている人間性がどれだけ大きいものを占めているか、またその責任をどう背負うか、が大切なんです。
by野平祐二(「ROUNDERS vol.3」「野平先生と私」より)<2012.6.16〜2012.8.17>

「ノーブレス・オブリージュ」とは、「高い身分や地位にある者は、それに応じた使命と義務を負う」を意味する欧米の道徳観です。常人には望むべくもない才能を持ち、社会的な資格まで得ている人たちが、プロフェッショナルの御旗を掲げて金儲けをするだけではあまりにも寂しい。
by波頭亮(「日本人の精神と資本主義の倫理」より)
<2012.3.25〜2012.6.16>

第三幕が始まる。果たして、天職と天命が異なると思わしき現実に向き合うことになったが、どちらが天職で、どちらが天命なのだろうか。
激流の生活を受け流し、できる限りの情報発信を行っていきたい。
競馬予想の芸術化に向けた地盤は、一方では固くなったとも言えるのだ。
byスカイポット 
2012.3.22〜2012.3.25>

成功した人の人生は華やかなエピソードに彩られていることが多いが、それはあくまでも表面のことであろう。「普通」であるがゆえに味わえる楽しみを犠牲にしているかもしれない。「普通」のなかに感動が満ちており、それを存分に味わえることのできる人は、このうえもなく幸せである。
by江口克彦著(「いい人生の生き方」より)2012.1.9〜2012.3.22> 


芸術はすべての人間の生まれながらもっている情熱であり、欲求であって、
ただそれが幾重にも、厚く目かくしされているだけなのです。
〜(それを)はずしたあとは、それぞれの実力で芸術を判断すればよい。
きっと、「芸術がわからない」などというのがどんなにバカげたことだったか、すぐに気がつかれるでしょう。
by岡本太郎(『今日の芸術』より)<2011.3.8〜2012.1.9>

〜クオリアを頼りにして何かを判断するということは、主観的な基準に依拠するということを意味するように考えられるし、 また、知識や文脈といったものが担保している公共的な側面から離れてしまう。
ところが、実際には、そうとは限らない。〜「公共性」からいったんは離れて、
クオリアの官能の中で自らと響き合うことによって、かえってより「巨きな客観」へと至る道が開かれるのである。
by茂木健一郎(『生命と偶有性』より)
<2011.1.19〜2011.3.8>

私たちはどうしても、創造性にロマンチックなイメージを抱いてしまう。
真っ白なキャンバスに突如として素晴らしい絵画が生まれる。新しい五線譜の上に、次々と美しい音楽が書かれていく。ゼロから生み出すことこそが芸術である、と。
しかし自然が飛躍しないのと同じように、さまざまな芸術もまたゼロから生まれることなど決してないのです。
by茂木健一郎(『感動する脳』より)<2010.10.24〜2011.1.19>

「だれかがその役をやらなくてはいけないんですよ。でなければ、いつまでも日本競馬は、
賭博や博打、あるいは反社会的営みといったそしりの領域から脱出することはできません。
目の前に落ちているカネを拾うのではなく、火中の栗を拾う。
そうすることで日本競馬が、広くスポーツとして文化として、受けとめられる土壌ができるんです」
野平はいつもそう言った。
by木村幸治(『君は野平祐二を見たか?』より)<2010.5.3〜2010.10.24>

競馬は文化であり、スポーツである。単なるギャンブルではない。
「競馬とばく」と呼ばれていた時代から「ギャンブル一辺倒からの脱却」、その実現のために苦しんできた。
ギャンブルだけでは競馬は滅びてしまう。 そういう恐怖におびえていたからだった。
〜私が去っても競馬は続く。それが永遠であってほしい。
by 野平祐二(「口笛吹きながら」より)<2010.3.10〜2010.5.3>

「天命は自分で手をあげて貰うもの」だそうなので手をあげてみたが、
その頃を起点としてからの不振は辛酸を極めている。
これも試練だと思って頑張るしかないが…。
「頑張りすぎなくて良い」と言われても、自分が背負って頑張らなければこの物語も終わってしまうよ。
by スカイポット<2010.2.14〜2010.3.10>

実業家が現在のように卑屈で世間の尊敬を受けないのは、一つは封建の残った弊害であろうが、
一つは商人のやり方がよろしくないからである。 欧米ではけっしてこうでない。
不肖ながらこの悪習を改めるために骨を折りたい。
宋の趙普は『論語』の半部で天子を輔け、半部で身を修めたと言っているが、
私は『論語』の半部で身を修め、半部で実業界を矯正したい。
by 渋沢栄一(「孔子 人間どこまで大きくなれるか」より)<2010.1.3〜2010.2.14>

 「あなたの場合、天職と天命は違う」
僕は確かに、取り巻く環境の変化に拘束されつつある。
創作を捨てた人生を、僕は受け入れることができるのだろうか?
これまで、そんな人生は何の価値もないと自問自答してきた。
人生の最期に自分のやりたかったことをやれなかったと後悔することはわかりきったことなのだから。
第六期は、僕の意地と天命との戦いでもある。
by スカイポット<2009.12.13〜2010.1.3>

 2000年の渡米前、
「メジャーで首位打者とか、だれよりもヒット打つとかだったら、野球をやめてもいい」と冗談で言った。
当時、周囲はそんなイチローを笑った。
それから4年。「今、同じことを言ってもだれも笑わなくなった。それは、僕にとっては大変気持ちのいいことです」
by イチロー<2009.9.15〜2009.12.13>

 私はいつも相場を考えるとき、
「相場に勝ったときは、プロもアマもない。プロかアマかは、負けたときに、その差が出る」
と思っています。相場には100%の勝ちなどという夢のようなことは存在しません。
いかに次に引きずらないで負けるか、次に向かえるかが問題なのです。
決めたことを遂行しての負けは、相場師としての「誇り」以外の何ものでもありません。
by 高田智也(「プロ相場師の思考術」より)<2009.5.7〜2009.9.15>

 〜冷静に見れば、そういう瞬間に、ある刺激に接して「見え方」が一度に変わるのには必然性がある。
偶然ではない。 けれども、本人にとっては、それはあくまで奇縁であり、奇跡である。
あのときに、あの風景、あの人、あの言葉に接したからこそ、「見え方」が大転換したという記憶が、
自分の生涯におけるささやかなひとつの奇跡として記憶されることになる。
そういう奇跡の訪れは、生きるロマンの最高のものである。
by 岡本浩一(「上達の法則」より)<2009.2.23〜2009.5.7>

 上級者は中級者に比べて、自分の技能について、より分節化の進んだ認知を持っている。
自分の技能の全体的レベルに満足できないとき、中級者ならたんに「努力が足りない」というくらいの認識で、
全体的努力を強化したり、練習量を増やしたりするくらいしか思い浮かばないが、
上級者なら、部分的な技能の強化に着想がおよぶ度合いが高い。
by 岡本浩一(「上達の法則」より)<2009.2.17〜2009.2.23>

 ひとつのことで上級まで達成できた人は、仕事でも、なにか新しいことを覚える必要が本当に生じたときは、
自分がきちんと自我関与して取り組めば、高い次元に昇り、
洞察のある見方ができるという自己信頼を持つことができる。
by 岡本浩一(「上達の法則」より)<2009.2.9〜2009.2.17>

 「重馬場で指数固定しない」、「中弛みの追い込みを評価しない」、「京都2000mの前残り」など
過去の失敗を昇華させて進む第五期
11月までの予想的中率51%、回収率161%
確かな手応えを感じつつ、苦手の12月中山・阪神開催攻略を目指す
by スカイポット<2008.12.8〜2009.2.9>

 長い間、さまざまな棋士と対戦してきたが、強い人というのは、
それぞれに大局観、戦型、駒の動かし方などに独自の個性を持っていると言える。
個性がないと指し手が伸びず、強くなれないのである。
by 谷川浩司(「集中力」より)<2007.12.27〜2008.12.8>

 今の必勝法に関する出版物にほとんど共通していることがある。
そもそも競馬で勝ちたいのは、一日で一財産築くためだし、
そのために簡単で負担のかからない方法を探し求めているというコンセプトのもとに作られているのだ。
〜だが、結局のところ、複雑きわまる競馬予想に抜け道なんてないのだ。
勝ちたいと思えば、まともにその複雑さに取り組まなければならない。
by アンドリュー・ベイヤー(「勝ち馬を探せ!!」より)<2007.10.6〜2007.12.27>

 データを超えた世界は広大なアナログの荒野。
指数理論で創り上げた展望台も砂上の楼閣にすぎないのか。
しかし、この展望台もある程度の高さとなり、霞の向こうに大海原が見えてきた。
指数を超えた新世界へ、船出してみようか。
by スカイポット<2007.4.16〜2007.10.6>

 競馬予想を追究しながら求めているものは何か?
夢・感動・お金、以上に…芸術!
初心忘れるべからず。
競馬予想のアート化は、競馬界と予想界の未来に役立つと考えています。
by スカイポット<2007.1.22〜2007.4.16>

 例えば、あのエメラルドの原石のようなものを
僕はこのサイト、メルマガに投影し、磨き続けてきたのです。
他愛もない幻想であっても、輝く術を求めて…
第三期へ突入します!
by スカイポット<2006.9.9〜2007.1.22>

「本当に正しい証明は、一分の隙もない完全な強固さとしなやかさが、矛盾せず調和しているものなのだ。
たとえ間違ってはいなくても、うるさくて汚くて癇に障る証明はいくらでもある。
分かるかい?
なぜ星が美しいか、誰も説明できないのと同じように、数学の美を表現するのも困難だがね。」
「博士の愛した数式」より<2006.5.4〜2006.9.9>

 無に帰す可能性も見えた前半戦、不調のまま終わりましたが、
新データアート分析により希望の光が見えてきたところです。
競馬予想を突き詰めた先にどんな未来があるのでしょうか。
ちょっと自分にも半信半疑(笑)
by スカイポット<2006.1.3〜2006.5.4>

 迎えるは馬流天星第二編第二部。
天星流による若駒戦予想は更なる極みへと昇るのか、はたまた偶然の幸運として消え去るのか。
飛躍の年になるよう努力いたしましょう。
当サイトが貴方の競馬ライフの一助となれば幸いです。
byスカイポット<2005.8.25〜2006.1.3>

 天星流の指数予想に開眼し、若駒戦の華やかな舞台に予想で参加することができました。
これはなかなか楽しいものです。
当HPをご覧のあなたにも、少しは伝えることができたでしょうか?
では予定通り、他の興味事の世界も見て回ってきます。
byスカイポット<2005.5.29〜2005.8.25>

 2003年以前のダービーへの道は弥生賞から、
2004年のダービーへの道は朝日杯から、
そして2005年のダービーへの道は夏の2歳新馬戦から。
半年以上の2〜3歳戦VTRを頭に収め、アナログ面は十分(多少感情移入あり)。
データアートも織り交ぜての他にはない予想をお送りしたいと思っています。
byスカイポット<2005.2.13〜2005.5.29>

 展望台から見えた景色は、まぶしいほどの正統派予想の精度だった。
そして競馬で儲けられる予想家になることができた。
「データアート展望台」・・・
サブタイトルの危機をうっすら感じながら、
データの洗練もまだまだ頑張りたいと思う。魅せる予想を!<2004.11.10〜2005.2.13>

 馬流天星、トップページをリニューアルして第二幕が始まる。
見晴らしのよい展望台から、どんな未来が見えるだろうか。
引き続き「データの洗練」、「アナログの上達」、
そして「データとアナログの調和」の各部の底上げを図りたい。<2004.7.25〜2004.11.10>

 「データで消えた馬は不利を受けてでも来ないと割り切れ」
あるデータファンタジスタの言うこの切れ味がデータ予想の宝刀でもある。
しかし、予想の合理性を求めるデータアートはアナログとの調和を目指す道を選んだ。
なぜ当たったのか、なぜ外れたのかを説明することにおけるデータ予想の弱点を補完したい。
どんな競馬にも柔軟に対応できるデータアート予想を求めて。<2004.6.2〜2004.7.25>

 桜から新緑へ。待ちに待ったクラシックの季節がやってきた。
今年はどの馬が歴史に名を残すのか、特製データによって予想していこう。
しかし、最近ホームページに求めるものが少しずつ変わってきているのを感じる…。
データアートを一斉練り直しのため閉鎖します。<2004.4.2〜2004.6.2>

 この秋競馬で、HPを作る原動力ともなった「四天王データ」を手放した。
綿密に造り上げたデータだったが、造り上げたからこそ、今の僕には合わなかった。
データの進化は、それを扱う者の進化なのかもしれない。
どのデータを選び構築していくか。洗練におけるセンスに、データ予想家の眼が問われると肝に銘じたい。
<2004.1.5〜2004.4.2>

 競馬を予想する上で唯一の絶対は「競馬に絶対はない」こと。
競馬はやっぱりいい加減なものと、データ予想に限界が見えるときもある。
でも、想像力がそれを凌駕する瞬間は確かにあって、結果も思い通り決まることもある。
より鮮やかなその瞬間、結果の必然を求めて、創造の旅路は続く…。<2003.11.3〜2004.1.5>

 理の探究。ジンクスはどこからデータになるのか。
己の理があるからこそ、賭ける勇気はみなぎってくるものだ。
しかし客観的には、それは不思議な自信に映ることもある。面白い。
僕にとっては真っ向勝負の理「データアート」。これからも築き上げよう!
あなたの理の足しになれば、嬉しい。<2003.6.19〜2003.11.3>

 執念のデータアーティスト、なかちゃんが送るデータ雑談・未来展望スペースはこちらです。
桜が散っても、気温が26度を超えても、これからが春真っ盛り!
まった〜り楽しんでいきましょうよ。
果たして、得意の春GIをこのまま押し切ることができるのでしょうか?<2002.4.20〜2003.6.19>

 競馬の結果は「しょせんいい加減なもの」で、真剣に予想するのは無駄なことかもしれません。
最近よくそう思うことがあるんです。精神修行というか、苦行をしているようで(笑)
でも、予想は私自身の表現でもあり、自分の行動には責任を持ちたい。
今後もデータアートを武器に、未知なる世界の法則を切り拓いていきますよ!<2002.12.8〜2003.4.20>

「競馬予想界の歴史に新たな道を切り拓く!」
思い込み抜群の志と負けず嫌いの執念、趣味を越えつつある創作理論から展開されるデータワールド、
馬流天星美術館へようこそ!
 1万ヒット感謝。10月には@nifty今日のビッピィに紹介されました!<2002.11.1〜2002.12.8>

 データは競馬の常識を教えてくれる。
データ予想はそんな客観的合理性によって馬券を取ろうという方法だ。
もちろん競馬に絶対はないし、常識の枠を打ち破って走る名馬・癖馬がいて、予想ではデータ崩壊を意識している。
その余部に、競馬と予想のさらなる面白さがある。<〜2002.10.31>