これまでのあゆみ・スカイ編


 1999年の馬券復帰は思い出の皐月賞から。仲直りしたNと見に行くが、曇り空(午後から小雨)で、4コーナーでも去年感動した「近さ」がまったくなく、馬券もワンダーファング絡みの返還200円しか戻ってこず印象は薄い。
馬券は外したものの、元々額はかけてないのでへこむどころか、中山未経験だけでテイエムオペラオーを、朝日杯10着でオースミブライトを消しているNの本に甘さを感じ、研究熱は逆に高まった。オペラオーの前走の毎日杯は0.7秒差の楽勝、オースミブライトは京成杯で中山2000mの重賞を勝っている、これらを見れば両馬とも見限れない。
データの操り方もだいぶ上達していた。そして、クラシック第2弾日本ダービーにて、データ馬券初の成果があがる。

 99年ダービーは、競馬伝道師としても初の成果をあげた。ダブルスクールで一緒だった競馬をやらない友達が手に入れたダービーの入場券をもらって、ゼミも一緒だったO君と見に行くことになったのだ。真夏のような日差しの中行なわれた日本ダービー、自信の◎ナリタトップロードが直線半ばで先頭に立つ。最後の最後でアドマイヤベガの強襲に屈したが、ベガも相手2番手に押さえている。ふたりでヨッシャー。
天気もよく馬体がきれいに見えたし、一番前で直線の攻防を見たし、馬券も当たったし、これぞ競馬の醍醐味!を競馬初めてのO君に体験させてあげることができた。もちろんO君も喜んでくれて、データもほぼ完璧に的中したのだから万感の思いだった。
この日は、ユタカがダービーを2連覇で勝ち、キムタクが出てくるわでイベント性も高く、昼休み、チアガールの姉ちゃんたちが馬場を行進していくイベントで、「右から3番目ー!」「左から2番目ー!」とか声が上がったのが面白かった。
その後、予想は安田記念的中、宝塚記念は買わなかったが的中と快進撃を続け、熱狂する私の卒論のタイトルも一時期、「競馬と確率について」になった(笑)

 さて、多少競馬を見る目が肥えてくると、過去の名馬たちと現役馬を比較するものだが、私は基本的に超一流馬と一流馬とのラインをGI3勝(地方交流、牝馬限定を除く)に置いている。
シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ナリタブライアンら3冠馬はもちろんクリアだし、タマモクロス、オグリキャップ、イナリワン、スーパークリーク、メジロマックイーン、トウカイテイオー、ライスシャワー、ヤマニンゼファー、ビワハヤヒデ、マヤノトップガン、タイキシャトル・・・誰しもが認める錚々たる名馬が並ぶ。
現役ではと言うと、7月4日にエルコンドルパサーが、NHKマイルC、ジャパンCに続きサンクルー大賞典を制し大台に乗る。 7月11日にグラスワンダーが、朝日杯3歳S、有馬記念に続き宝塚記念を制し、これまた超一流馬に仲間入り。そして、GI2勝の予備軍にスペシャルウィーク(ダービー、天皇賞春)とセイウンスカイ(皐月賞、菊花賞)がいた。共にあとひとつのGIをいつでも取れそうな風格の器だ。これが皆同期なのだから、囁きはじめられた最強世代という言葉に私は異論なかった。多少の思い入れはあるとしてもである。それを証明するためにも、2頭には早く3つ目のGIを取ってほしい。
私の秋競馬の視点は、もっぱらそのことに注がれていた。


 天皇賞秋。スペシャルウィークが京都大賞典で初めての惨敗を喫し、当時のデータでは赤信号が点灯、メジロブライトは昨年のメンバーで負けているし、エアジハードは安田勝ちでも直行が痛い、ツルマルツヨシはこの面子ではGI初挑戦の壁にぶち当たるだろう。ならば素直にセイウンスカイで行きたい。春盾はライバルのスペシャルに譲ったのだから、秋盾は取らないといかん。スペシャルは去年のダービー馬だから、ジャパンC勝利につながる競馬を希望する。そんな気持ちでレースを見ると、その幕切れは劇的なスペシャルウィークの復活劇だった。これでスペシャルウィークも、ダービー、天皇賞春に続く天皇賞秋制覇で不遇を言われ続けたダービー一冠馬の呪縛から解き放たれた。
あとはセイウンスカイだ。ゲート再審査でジャパンCは出られなくなったが、むしろ府中より相性がいい中山の有馬記念に絞ったほうがいい。朗報に思えた。が、そこへ、左前脚屈腱炎発症の痛すぎる発表がなされる。屈腱炎はこれまでにもビワハヤヒデ、ナリタブライアンらを引退に追いやった不治の病、引退か現役続行か。関係者の執念で後者が選択され、セイウンスカイは長い闘病生活に入った。
私にとってもあの皐月賞の恩人。なんとしてでも3つ目のGIを取らせてあげたいと思う。京都大賞典、菊花賞の勝ちっぷり、札幌記念のすごく不器用でしかし能力差歴然の勝ちっぷり、負けたレースでも競った先行馬惨敗の中で毎回の入着、実力は折り紙つきだ。
がんばれセイウンスカイ! すごい勢いでファンになっていく私がいた。

 そんなわけでその秋は、史上初の天皇賞秋・ジャパンC連勝のスペシャルウィーク、歴史に残る有馬記念のグラス−スペシャル4センチ差の死闘、ライバルたちの活躍に拍手しながらも、そこにスカイがいないのが足りない、寂しい思いを抱くのだった。

 ノストラダムスは何だったのか?2000年競馬開幕。この年競馬界をすさまじい勢いで席巻したのがおなじみテイエムオペラオー。最強世代の防壁となるはずのグラスワンダーは、年明け未勝利で宝塚記念痛恨の故障引退で、オペラオーは年内8戦8勝、古馬中長距離GI全勝の偉業を達成した。してしまった。
京都記念→阪神大賞典→天皇賞春→宝塚記念→京都大賞典→天皇賞秋→ジャパンC→有馬記念は、まさに王道。非のつけようがない。
オペラオーについては後々じっくり語ってみたいが、この実績で一番苦杯を舐めたのは、スペシャルウィークだったと思われる。
古馬中長距離5冠を同じ年に全て連対したのは、それまでタマモクロスとスペシャルウィークしかおらず、秋三戦全て連対にしても、それまで多数の馬が挑戦してきてシンボリルドルフ、タマモクロス、スペシャルウィークしかいなかった。オペラオーはそのスペシャルの実績を1年で完膚なきまでに上書きしたのだ。20世紀の名馬100選を今やったら、スペシャルウィークの順位は数番落ちる、と私は思っている。内容を吟味すれば、スペシャルが落としたふたつは、グラスの2着だからもちろん評価は高くあるべきだが。

 この秋、私はセイウンスカイを応援するホームページを発見し、同じようにスカイ復活を願う人々がいることを嬉しく思うとともに、そこでスカイ情報を仕入れていた。「完調しても故障前の7、8割の能力にしかならない」そんなオーナーの書き込みもあった。
そんな状態でオペラオーを倒さなければGI3つ目の夢は叶わない・・・
オペラオーは史上最強馬とは思えないが、並みのGI馬ではない。それはGI3勝に達した時点で認めている。もう最強世代の時代は終わっていて、スカイを応援している私は化石人間かもしれないと思った。そう思っては、でも全てはターフに戻ってきてからだと考え直した。

 過去の栄光に包まれて復帰するまでは叩かれることもないだろう、このスカイファンという場所は、いい意味で冷静にオペラオーたちを見ることができ勉強になった。オペラオー中心の生ぬるい(のかそうでないのかも判別したい意味で)競馬界に強い逃げ馬を待望したが、そんな馬も現れず、結局この年、スカイも有馬記念で復帰は叶わなかった。

 GI馬券は順調で、クラシック全勝でクラシック連勝を5とし、菊花賞連勝を3に伸ばした。
(平場馬券は4万馬券を取るも合計では12万負け、攻略の目途が立たないのであまり深追いしないよう心に誓った)

2001年、私は就職し、研修などで新しい競馬仲間が全国規模にできた。
特に競馬仲間としては、競馬歴12年の男(こてこて関西人)I、ブライアンとタキオンぞっこんファンのTに出会えたのは大きい。ふたりと共に、さらに競馬ファンを広げるため、研修中には皐月賞ツアー(男女合わせて20人以上)、NHKマイルでリベンジツアー(同8人)を企画、開催した。(両日とも晴天で、またまた競馬に興味を持ってくれる人が増えて大満足です)

 さて、そんな日々の中、我が愛馬セイウンスカイがターフに帰ってくる日が近づき、長老派スカイファンたちに風雲急が告げられる(笑)。しかしスカイはゲート再審査が長引き、日経賞を使えず、天皇賞春への直行というひどいローテーションに加え、強い調教をできていない、とても本命には押せない状態だ。
いつもは立ち読みですますギャロップを買った。虫のしらせかもしれない。オペラオー、トップロード、ドトウと同じ扱いで見開き2ページ使ってスカイの紹介が載っている。紙面で保田調教師はホームページの話もし、最後に私と同じ思い、「もうひと花咲かせて、スペシャルウィークら素晴らしい同期のライバルたちと同じレベルにさせたいですね」と締めくくった。

 01天皇賞春。復帰レースは府中のターフビジョンで見た。
一年半ぶり、かなり白くなった芦毛馬は逃げにこだわり、同じく芦毛のタガジョーノーブルと激しくハナを奪い合う展開、オペラオーら有力どころと差が開き、間違いなくハイペースだ。
それはわかっていてもスカイが逃げた第3コーナー手前まで、私は夢見心地にいた。スカイがターフに戻ってきただけで満足に思いつつ、なんでこんなにファンになったんだろうと苦笑する自分もいた。
3コーナーで失速したスカイに動揺した私だったが、故障ではなく大差負けで最後まで完走していることを知り、安堵するとともに屈腱炎の恐ろしさを知ることになる。でもまだわからない。使って調子が上がってくれば、と有馬復活Vを私は思い描き、陣営も宝塚、オールカマーからの復帰を目指した。
が、答えはセイウンスカイ自身が出した。使って調子が上がるどころか、ストレスのため体の節々に不調を訴え、脚部不安が再発したのだ。

 2冠馬スカイは、もう無理して走らずともゆっくりした余生を送ることをある程度保証されている。
(もし種牡馬として成功しなくても、グリーングラスのように引き取ってくれるファンはきっといるだろう)
スカイにとっての幸せは私たちの夢と違うかもしれない。人の夢のため(それが金のためである人も大勢いるのが現実だろう)に走る競走馬について考えさせられた。7月上旬、ついに引退が決まる。

 8月19日、札幌。セイウンスカイの引退式に加え、ダービー馬ジャングルポケットの札幌記念参戦とあって、私は宝塚記念の阪神に続き、札幌へ飛んだ。昼休みの引退式にかけて、ウィナーズサークル付近には、私を含め大勢のスカイファンが詰め掛けた。
登場したスカイははじめいつものヤンチャぶりを披露していたが、ホームストレッチを往復したあと、ニンジンのレイをかけられるに至って、私はやっと本当に引退なんだなと実感した。
最後の勇姿をしっかり目に焼き付けた。
帰りには勢いでスカイのテレカ、皐月賞の写真を購入し、後日ギャロップのパネルも買った。後日、そのことをNに話すと、なんでそんなファンになってるんだと笑われた(笑)。ホント、なんでなんだろう?(将来再びこんなに応援する馬は現れるのだろうか?)

 スカイの皐月賞から始まり、約3年半、スカイとともに歩いた私の競馬人生にも一区切りがつき、この間、私はとても幸せな時間を過ごすことができた。ありがとう、セイウンスカイ!!そして関係者の方々。

 さてさて、こんなお熱だったスカイ時代にあっても、私はGIデータ予想でJRAと格闘してきた。99年秋には、菊花賞四天王データを開発し、2年連続本命的中に自信をつけた(00年菊は8万5千円勝ち)。00年はNHKマイルCとオークスで、自信があるわけでもないのに万勝負をして散ったのは愚行だったが(大勝負の友達と行くと流されてしまう〜)、天皇賞春、日本ダービー、宝塚記念ではそれぞれ万勝ちでプラスに乗せた。今後は勝負できるGIの幅を広げていこうと思っている。(ホームページを開くことになったのも、その意気込みの延長です)
そしてデータアート美術館へ…


●これまでのあゆみ・美術館編